いとなみ研究室

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株式会社 天洋丸

この道15年、天洋丸の愛されキャラ「大石貴浩」さん

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とても活発だった幼少期

今回、天洋丸で一番の古株、大石貴浩さんの幼少期からお話を聞いてみた。大石さんはどんな幼少期を過ごしてきたのか?

大石:保育園時代はとにかく活発でした。お昼寝の時間でも、他の子どもたちが休んでいる中、自分はそんなの関係なく、一人で外に出て遊んだり、保育園の裏山へ探検に行ったり。周りの先生たちから「こんな子は初めてだ」と言われるほど活発だったそうで先生たちを困らせていたみたいですよ。

 

父との特別な絆と兄への憧れ

大石さんの兄弟構成はひとつ上に兄がいて、お父さんとは特別な絆がある。

大石:小学生の頃、自分の父親に「お父さん、誕生日いつなの?」と何気なく聞いたところ、「お前と一緒だぞ」と言われた。その時に初めて父の誕生日を知り、聞いた時は、「えええ?!そうなの」っと驚いた記憶があります。一緒に年を取るって不思議な感じですけど、特別なつながりを感じます。

幼少期から小学校時代にかけて、お兄さんと一緒に過ごしていたそう。小学校3年生の頃から6年生まで、お兄さんと同じ野球チームに所属し、切磋琢磨しながら練習に励んでいたと語る。「1学年しか違わないので、ほとんどずっと一緒でしたね」と話す彼は、当時の仲の良さとお兄さんとの思い出を振り返ります。

大石:特に印象に残っているのは、兄が5年生の時に出場した全国大会のことです。当時、兄は試合に出場している唯一の5年生で、その試合で見せたファインプレーが、誰もが「無理だろう」と思うような守備位置から、兄が見事なダイビングキャッチをしたんです。試合の流れを一気に変えたそのプレーは、チームを逆転勝利へと導きました。その時の兄の姿が今でも目に焼き付いています。あの瞬間は本当にかっこよかった。それが一番小学生の頃の記憶に残っています。

そう語る大石さんの言葉には兄への深い尊敬と憧れが滲んでいるように感じた。

引退試合での心の葛藤

中学生でも野球部に入部。3年生最後の試合で、強烈に記憶に残る出来事が。引退試合という特別な場で、監督から「3年生全員を試合に出す」と予告があり、仲間たちは次々と試合に出場し活躍していった。しかし、気づいた時には、大石さんだけが試合に出ることがなく、そのまま帰路につくこととなった。

大石:試合が終わり、帰りのバスの中で、みんなが楽しそうに試合の話しをている中、僕だけが出ていないから、取り残された気持ちになり、悔しさで涙をこらえきれなかった。コーチが状況に気づき、監督と3人で話したけど、感情を抑えきれず、自分の思いをぶつけた。「なぜ出してもらえなかったのか」という問いに対して、具体的な理由は聞けなかったけど、監督はわざわざ実家を訪れ、謝罪をしてくれました。あの時は悔しかったけど、今ではそれも含めて良い経験だったと思う。

試合に出られなかった悔しさや、印象に残った出来事と話すが、それもまた今では「良い思い出」と前向きに捉えているように感じた。

将来につながる進路選択

高校は熊本県の水産高校へ進学し、自宅からは距離があるため、中学卒業と同時に親元を離れ高校生活を送る。なぜ水産高校へ進学したのか、取材の中で幼少期のことが影響していると語る。

大石:「アナジャコ採り」というユニークな地元の行事があるんですけど、干潟で泥を掘り、筆を使ってアナジャコを捕まえるという手法は、地元特有の伝統的な漁法で、筆を穴に入れてしばらく待つと、アナジャコが出てくるんです。それを手で捕まえるんですけど、素早くて何度も逃げられました。(笑)あと釣りも好きで、父と兄とよく行ってました。高校では釣り竿を作る実習がありました。休みの日は自分で作った竿を使って、友達と釣りに行くことが多かったです。部活はカッター部に所属し、全国大会にも出場しました。青森県の八戸で行われた大会に向けて、終業式の日に熊本から新幹線で現地に向かったことが印象的かな。

このように、幼少期の自然との触れ合いや家族との釣りの経験が、水産業への道を切り開く大きな要因となり、高校卒業後大学へは進学せず、水産業の道へと進みます。

 

漁師として生きる—15年の道のり

高校を卒業した18歳の頃から、漁業の道に進んだ大石さん。天洋丸に足を踏み入れた当時、従業員はわずか3人。今のような大所帯ではなく、まるで家族のような関係性の中で働き始めました。

大石:高校時代の先輩の紹介がきっかけでした。知った人がいると安心感があるしと最初はそんな理由で入社しました。正直言って、辞めたいと思ったことは何度もありましたよ。時には年上の人たちからの指導や指示されることも多くて、最初はきつかったです。でも、逆にそういうことを言われるうちは期待されている証拠だと思って、前向きに捉えるようにしました。

大石さんが続けてこられた背景には、周囲からの期待と、そうした厳しさを自分の成長のために受け止める根本的に前向きな姿勢があったからではないだろうか。

大石:もし何も言われなくなったら、逆に危機感を覚えると思います。それに気づいてからは、声をかけてもらえること自体が、自分がまだ頑張る価値があるのかなって思えるようになりましたね。

ただ15年経った今も、漁業が自分に合っているか、未だに悩むことがあると語る。

大石:18歳でこの仕事に就いてから最初の5、6年は、単純に親孝行をしたいという気持ちで頑張っていました。でも、年を重ねるにつれて自分自身の価値観も変わってきました。自分は何のためにこの仕事をしているのかと考えることもあったり。周りからは悩みがなさそうと言われるけど、悩みぐらいあります(笑)特に30歳を超えた今、正直な気持ちを言えば転職なんてもう無理だと諦める部分もあるし、ただ同時に『もうここまで来たんだから』という気持ちも強くなってます。

 

これからのこと

天洋丸は、日々新たな挑戦に向き合いながら漁業を続けています。養殖にも力を注ぎ、新しい技術や知識を取り入れながら進んでいます。その中で大石さんが思うこととは?

大石:やっぱり生き物が好きだから、何かを育てるって楽しいですよね。例えば養殖しているものが今後成果につながることが、モチベーションが上がるのかもしれないですね。まぁ、成功ばかりじゃないけど、失敗してしまった時は、なぜ失敗したのかを考えますよね。特に初めてのことに取り組む時は、手探りで進むことが多いし、周囲の経験を参考にしながら、やるしかないし。でも一番はでも、事故や怪我のリスクも常に頭にありますので、安全第一が最も大事ですね!

 

最後に「安全第一、怪我がないことが一番」と語った大石さんだが、今回の取材でお借りした場所が、天洋丸のみなさんが集まるスペースでの取材となった。取材中も何名かの社員さんや近所の漁師さんが訪れる機会があり大石さんと会話された。会話をされる姿から、愛されキャラが垣間見えた。そんな天洋丸1番の古株大石貴浩さんの人柄が見えた瞬間だった。

 

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プロフィール

大石貴浩

会社情報

会社名:
株式会社 天洋丸
所在地:
〒854-0703 長崎県雲仙市南串山町丙9287-3 ( 天洋丸水産加工場・事務所 )
Tel:
0957-76-3008
Website:
https://www.tenyo-maru.com/

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