いとなみ研究室

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株式会社 天洋丸

一見、強面。話すと橘湾のような穏やかな表情を見せる漁撈長。「白水 涼」さん

取材 / 文

写真

白水さんは1993年8月生まれの、現在31歳。 5人兄弟の長男として長崎市内に生まれる。1番下の弟とは13歳離れていることもあり、小さい頃は一緒に寝たり、時にはオムツを替えたり、白水さんが就職してからは筆箱を買ってあげたりと、とても可愛かった様子が伺えた。見た目は貫禄のある白水さんだが、笑うとくしゃっと目尻が下がりとても優しい雰囲気に包まれる。そんな白水さんの幼少期からをご紹介。

 

喧嘩だらけの幼少期

白水:0歳から保育園に行ってたみたいですよ。相当悪ガキだったみたいです。毎日喧嘩をしていた記憶があるし。5対1とかで喧嘩して友達泣かせて。最後俺が先生に泣かされる(笑)

 

喧嘩は絶えなかったようだが、5対1と、決して弱いものいじめをすることもなく、ただただ元気いっぱいのやんちゃな男の子だった。小学校へ進学してもそのやんちゃさは発揮される。

 

白水:1年生の時は週に3回くらい喧嘩をしてて、呼び出しをされていました。校長室に(笑)。学年が上がるにつれてだんだん喧嘩をすることも減って行って、小学3年生の頃から、近所の子達とソフトボールをするようになりましたね。中学ではソフトボール部がなくて野球部に入部して、高校は地元の高校へ入学したけど、そこには、野球部とソフトボール部があった。自分はソフトボールのスピード感とかが好きで、高校ではまたソフトボール部に入部しました。高校では自分が経験が長かったこともあって、キャプテンをしたり。部活以外では友達と夜な夜な遊び周りやんちゃしたりね(笑)楽しかったですよ!

他にも取材の中で学生生活を、謳歌していた話が飛び交った。また5人兄弟の長男と言うこともあり、元々面倒見が良いと勝手なイメージを抱いていたが本人はそうでもなさそうだ。

白水:どうなんだろう。高校でも自然な流れでキャプテンになってたし。ただ自分がやった方が物事が早く進むし、それを後輩や、仲間とやっていく感じかな〜。最初は「こうしてみたら?」とかアドバイスするけど、あとは見守るかな!

 

何かを伝える際も相手に寄り添い伝えていく姿勢は、白水さんの優しさが滲み出ているように感じた。その他のエピソードとしては、幼い頃から活発な子で、拾ってきた材料で秘密基地を作ったり、母方の祖父母の家が五島にあったことから、夏は五島へ行き、海で泳いだりしていたそう。五島での思い出が後の海の仕事に就くきっかけとなる。

高校卒業

 

勉強が大嫌いだったことから、大学へは進学せずに、卒業後の進路は就職一択だった。ただ卒業ギリギリまで就職が決まることはなかった。

白水:親は大工なんですけど、大工の仕事がずっとないって言われてて、それでなんしよっかなと思って、先生に相談したら、 身の周りの人で何かしてる人はいないかとか、色々探してくれました。ちょうど、いとこがその時五島で漁師してたんで、漁師もいいかと思って。海好きやし。それで、先生が漁師の 求人を持ってきてくれたんすよね〜。で、何種類か水産加工会社とか、水産系の会社を受けて、天洋丸に決まった。3月ぐらいやったかな〜

 

冒頭、幼少期の話にも出てきていたように、祖父母の家がある五島へ行き海に馴染みがあったことから、漁師の仕事に就くことを決心する。

 

漁師としての始まり

 

入社当時の天洋丸は、まだ個人事業主として運営されており、社員寮として使われていた古民家で同僚と生活を送っていた。

 

白水:もう13年経つかな。入った当初は、給料面で同級生と比べてしまって、辞めようかなと考えることもあったけど、やっぱり「楽しい」と思う事の方が上かな。好きで入った仕事やし、漁に出て魚が獲れれば嬉しいし。誰のものでもない魚をかっさらっていく感じ(笑)そして入社して5年目くらい経った時に会社が個人事業から法人化に変わった。古民家で同僚と住んでたけど、その頃に寮も新しくなったり環境が変わりましたね。

 

法人化に伴い天洋丸としての環境も変わった。当時、個人事業だったころ漁撈長を担っていた千代太社長から、白水さんへ漁撈長としてのバトンが渡される。

 

白水:社長が、 人も多くなって、事務職とか他の仕事や、する事が増えていって手が回らんようになったタイミングかな、2年ぐらい前ですよ、漁撈長になったのは。それまでは、社長がずっと浜に来て、一緒に「ああでもない、こおでもない」って言いながらしよったけん、 そこまで漁撈長とかは考えてなかった。ただ、言われた仕事を、自分達で段取り組んでしてました。だから最初言われた時は正直、大丈夫かなって思いました。その時は本当に魚が獲れるか不安の方が大きかったですね。

 

漁撈長の役割は大きく、出漁をするか、しないか、氷をどれくらい積んでいくのか、漁場を決めたり、網を張るタイミング、回数など漁獲量に影響する判断をしないといけないことが取材の中で分かった。変化する天気や波、同じ環境というものがない中で、判断していく事がどれだけ難しい事か、2年経った今の気持ちを聞いてみた。

 

白水:いや〜今でもプレッシャーですよ。できればみんなと網を引きたいと思うし。ただ立場上全体を見ていたり、情報収集したりしないといけないし。正直、今でも本当に俺でいいのかなとか、社長ならもっと獲れるかもって思ったりもするしね。ただ出来ないことは周りに助けてもらいながらやってます。活かしの技術は健太くんに聞いたり、養殖のことなら牧島さんに聞いたり、魚種によって餌のやり方とかも変わってくるし。ここで出てくるのが計算ね。大っ嫌い(笑)出来ないことはできる人に任せる感じです。そうは言っても自分も勉強しないといけないですけどね!

 

白水さんの人柄の良さが伺える。「なかまに任せる」一見簡単に見えるが、任せる事にも責任が伴うし、同僚、部下との信頼関係があってこそだと感じる。

 

漁撈長、育休を取るの巻

実は白水さんの奥様、萌さんも天洋丸のパートさんとして働いている。奥様との出会いはコロナ禍で、奥様に「うちの会社で働けば?」と声をかけた事がきっかけだったそう。長男、そして今年長女が生まれる。なかなか男性の育休が普及しない社会だが、白水さんは今年約2週間の育児休暇を取得する。

 

白水:長男も長女も可愛いですね〜。それぞれに違った可愛さがあります。1人目の時は取らなかったんですけど、2人目は時期的にも取れそうで、取得することにしました。お盆休みと組み合わせて約1ヶ月くらい取ったんですけど、やっぱり取って良かった。成長していく過程を写真じゃなくて直に見れるんで。周りに感謝してます。うちは取れる環境にあったから育児休暇を取れた。俺がいない間もみんなのサポートがあったんで。

 

時期的なものもあっただろうが、まだまだ男性の育児期休業取得率が社会的に低い中に、天洋丸として育児休暇を導入し、漁師の在り方にもこだわりを持って取り組む天洋丸だったから、また、なかまの理解、協力が大きかった事が、白水さんにとって安心して育児休暇が取れたように感じた。

 

父として、そして天洋丸漁撈長として

白水:まず子どもがしたいと言った事には全力で応えたいです。後は自由に育ってほしい。人として道を外さなければ色々な経験を積んでもらいたいし、本当にダメなことはダメって言うだろうし。自分も同じように育ってきたから。後は、息子があわよくば同じ道に進んでくれると嬉しいな。

取材した日、ちょうどお昼ご飯を食べる白水さんに遭遇した。おっきな愛妻弁当を取り出し、「嫁が朝5時に起きて作ってくれた」と、とても美味しそうに食べる姿は幸せな空気で包まれていた。

 

最後に、今後漁撈長としての未来を伺った。

白水:今魚が減ってきてて、社長は獲れなくなった時の対策として色々試行錯誤してくれてて、でも俺はやっぱり巻き網が好きだから、もっと経験を積んで、人より少しでも多く獲りたいと思う。漁に出ると毎回勉強で、たらればになるけどもう少しこうすれば良かったとか。でもそれが経験かなと思います。後は、みんなをまとめて行けたらと思います。

そして「やっぱり家族のためにも頑張っていきます」と優しい笑顔を見せた。漁撈長としては毎回勉強だと前向きな雰囲気で「プレッシャーっすけどね(笑)」と、お茶目に本音をこぼしながら最後の言葉を締めくくった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

プロフィール

漁撈長

白水 涼

会社情報

会社名:
株式会社 天洋丸
所在地:
〒854-0703 長崎県雲仙市南串山町丙9287-3 ( 天洋丸水産加工場・事務所 )
Tel:
0957-76-3008
Website:
https://www.tenyo-maru.com/

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