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上田皮ふ科
妊娠や子育てに関する悩みはここへ。【上田皮ふ科】生命尊重センター/エンブリオ基金センター
世の中には、妊娠や子育てと葛藤するお母さんがたくさんいます。
今回の記事は、「いのち」について。
「妊娠したけど、産むことを反対されて、親にも、友達にも言えないような人がいるから、ここに電話をかけさえすれば、聞くことはできるよって。いろんな方法があるよって(伝えたい)。」
生命尊重センター/エンブリオ基金センターは、妊娠や子育てに関する相談を受けたり、産みたくても産めない妊婦さんへ支援金のサポートをする団体。立ち上げメンバーの坂元 威佐(さかもと いさ)さんと、活動を支援する上田皮ふ科院長 上田 厚登(うえだ あつと)先生にお話を伺いました。
誰にも言えない悩みを抱えているお母さんに、届きますように。
もし周りに悩んでいる人がいれば、こんな支援もあるよとぜひ勧めてください。
相談だけでも、大丈夫。どんな悩みでも。
今年で40周年を迎える生命尊重センターは、いのちの尊さを全国に広めるべく、「生命尊重ニュース」を毎月発刊したり、全国で講演会を開催しています。また、この活動を母体として生まれたNPO法人 エンブリオ基金センターでは、産みたくても産みにくい妊婦さんへの相談・資金支援を行なっています。
資金支援については、ひとくち1円から始められる基金を募り、支援を必要とする妊婦さんへ、出産費・健診費のサポートをしています。支援の対象となるのは、年収200万円以下の非課税・低所得世帯の方。所定の必要書類を送付し、運用委員会の審議を経ることが条件となっています。
ただ、相談支援は、資金支援の対象外の方であっても受けることができます。
「結婚できない相手との子供を授かりました。」
「4人目の妊娠で、嬉しい反面、経済的な心配があります。」
「授かった子に、どうしても愛情を持てない。産んでもちゃんと育てる自信がありません。」
小さなものから複雑なものまで、どんな悩みでも大丈夫。カウンセラーが話を聞き、解決につながる道を一緒に見つけます。ご相談は、ネットまたはお電話で。ご相談フォームはこちらから
坂元さん「いろんな情報は入ってくるけど、いざ我が子を授かったら、どうのように育てていいか分からないっていうのが、正直な新米母親の気持ちだったんですね。」
団体立ち上げメンバーのひとり、坂元 威佐(さかもと いさ)さんはそう言います。
この活動の発端は、とあるお母さんたちの”読書会”でした。当時、日本の精神科医が発表した「母原病(※)」という病気がニュースになり、家庭教育のあり方について考えたいと思うようになった威佐さんは、5人のママ友と一緒に本を読んで、勉強会を開いていたそう。
(※)...母親の育児下手が子供にさまざまな病気・問題を引き起こしているとするもの。
そうして「大村 家庭教育を考える会」という団体を立ち上げ、市内で「いのち」についての講演会を開くようになります。地元の学校の校長先生や、県の教育長の方々を講師として招待し、命の尊さ、家庭教育のあり方について啓発活動を行ってきました。
また、エンブリオ基金を募るべく、お店や病院などに募金箱を置いて回ったと言います。小さな集会から始まった取り組みが、今では全国へ広まりました。支援によって生まれた赤ちゃんは、2023年10月時点で1,000人を超えたそう。
上田先生「母が関わっていたのを知ったのは、私が40才のときでしたね。」
上田皮ふ科の院長である上田厚登さんは、亡き母への思いを語りました。当時の”読書会”のメンバーのひとりが、上田先生のお母さんだったそうです。
「自分が興味関心を持っていたことに母が関わっていて、驚きと、見えない力で動かされているような不思議な感覚を感じました。イサさん達の想いは、次の世代に繋がっていると思いますね。」
これは私の使命だから。
イサさんが命を大切にしているのには、ある理由があります。
それは、イサさんがまだお腹の中にいた時のこと。
「お医者さんが母に言ったそうなんです。『目の治療をするなら、お腹の子を諦めて中絶する。でも中絶しないんだったら、お母さん、あなたの片目を取って治療をやめます』って。もう私もどんどん大きくなってたし、2つに1つの道を選ぶしかないって。そしたら母は、『はやく私の目を取ってください』と言って、私を産む決断をしてくれたんです。」
そのお話は、何歳の時に聞いたんですか?
「小学校のね、6年生のとき。私が反抗期で、母と喧嘩ばかりしてたんです。そしたらある日、いとこが、『お母さんはなんであんなか知っとるか』って。
母は義眼だったから、目を取って洗ってたんです。私はそれをずっと見てきたから、なんでって聞かれてもあれがお母さんやろって。そしたらいとこがその話をしてくれてね。『あんたのお母さんはね、私を産むために、麻酔も十分じゃなかったとよ』って。」
自分はたくさんの方の支えがあって生かされているのだということを、そのとき初めて知ったと言います。徐々に周囲への感謝の気持ちが芽生え、母への反抗も少なくなっていきました。
それから、威佐さんにとって忘れられない出来事がもうひとつ。「自分の使命」について考えさせられた、父とのとある出来事でした。
「中学生のとき、下関の学校に転校したんですけど、何をしていいか分からんくなってしまってね。生徒が1,000人くらいいる大きな学校だったから、カルチャーショックで。父には甘えてばっかりだったから、『お父さん、もう学校行かん。行っても面白くない』って言って。こんな80のおばあちゃんがね、12,3歳のとき、不登校したとよ。(笑)
そしたら父が、下関から小倉まで列車の旅をしようかって言って、わたし喜んでついて行ったわけ。
乗ったらすぐ、『あんたが今、学校行きたくないって言いよる訳は、いーちゃんの口から聞かないけど、お父さんから見たらわかる』って。
あなたは人と比べてるやろって。あの人があれを持ってる、あの人はあんなに早く走る、あの人は本読みが上手って。でも、自分は何もできない。それが”劣等感”って言うとって。もうそんな娘になってくれたっていうことがね、お父さんは悲しいって言ったんですよ。歳とった、もう90にもなろうかっていう父が『悲しい』って。」
「手を出してごらんって言われて、『使命』ってね、”使う命”って書くとよって。あなたはあなたでしかできない使命を持って生まれてきてると。それは誰にも代われないって。
命の使い方はみんな違う。いーちゃんは、いーちゃんの使命があるんだよって。そんな自分をダメだダメだって言うことは、もうやめてほしいっていう願いがあったんだろうなと思ってね。」
人と比べる必要はない。人には人の使命があって、私にしかできないことがきっとある。その言葉が妙に響いて、目がじんとしました。
「それから、私はずっとその『使命』っていうのが、自分を支える言葉になってるとね。私はもう、生まれてくる時から大変だったから。考えれば考えるほど、たくさんの人の愛情を受けて、このように生きてこれたんです。だから、命を踏みにじるってことは許されないってね、大事に使わんばと思うんです。」
今でも、悩みを抱えるお母さんから電話で相談を受けているという威佐さん。6人を育て上げたという自身の子育てでも、苦しいこと辛いこと、たくさん経験してきたという。
「ちょうど妊娠して3ヶ月だったのかな。出血が酷かったから病院に行ったら、流産ですって言われてね。私がもっとちゃんと大事にしとったらよかったのにねと思って、いっときはショックやった。でも、だからこそ流産した方の気持ちもわかる。今までたくさん相談を受けてきたけど、流産したことを誰にも言えなかったって人が多くて、びっくりした。苦しみが忘れずに、塞ぎ込んで、薬を飲んでますって人が。
だから亡くなった息子が、この人たちと出会わせてくれたねと思ってね。このままこのお母さんたちが悶々とし続けてたら、どうなってたかと思って。」
自身がつらい経験をしたことで、同じ経験をした人からも相談を受けるようになったそう。誰にも言えない悩みでも、同じ痛みを知っている人ならと、声をかけやすいのかもしれません。
自分のいのちを、誰かのために使う。これまでの経験から、自分にしかできないことをする。「それが私の使命だから」と語る威佐さんは、この活動がより多くの人に届いてほしいといいます。
「助けてって言えさえすればいいから。悶々として、行き場のないところでぶつかってる人は、助けてって言ってほしい。こうして話を聞いて、助け合うことができるから。」
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