いとなみ研究室

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株式会社 天洋丸

インドネシアでは経営者、日本では特定技能外国人と2つの顔をもつ「アンさん」

取材 / 写真 / 文

「アン」そう呼ばれる彼の名前は、ディアン・アグン・プラタマ。インドネシアでは、家族や親しい友人からは「アグン」と呼ばれていた。日本に来てからしばらくすると「アン」と呼ばれるようになった。それはなぜだったのだろうか?

アン:元々はアグンと呼ばれていました。「日本語の先生がディアンと呼んでいい?」と言われたところから、日本へきて最初はディアンと呼ばれていたんだけど、呼びにくいということでアンへと呼び名が変わっていきました。(笑)

そんなストーリーから始まった取材。アンさんは、特定技能外国人として日本で漁業に従事する。実はその裏で驚くべきビジネス手腕を発揮している。幼い頃から家計を助けるために始めた家畜ビジネスを基盤に、日本での経験を活かし、故郷で会社を設立。成功への道を切り開いている。

10歳から始めた家畜ビジネス

アンさんのビジネスの原点は、10歳まで遡る。中部ジャワの農村で育ったアンさんは、家計を助けるためにモルモットを飼育し、販売することから始めた。学校からの帰り道、エサにするための草を取って帰り、家畜の世話をする毎日。地道な努力が実を結び、モルモットの販売で得た資金を元手に、より高価なヤギの飼育に乗り出した。

アン:お父さんの仕事が大工と、その傍らで牛を育てていて、あまり友達とゲームセンターなどに行く事はなく、父や祖父の手伝いをして過ごす事が多かったです。お小遣いもそんなに沢山なかったので、自分でお金を貯めたくて、始めはモルモットを飼い始めました。そのモルモットもお小遣いをコツコツ貯めて自分で買って、モルモットを育てて売る。そのお金をまた貯めて、次はヤギを買い、そして売るを繰り返しコツコツとお金を貯めていきました。

 

アンさんはなぜそこまでしてお金を貯めていたのだろう?

アン:将来のために、10歳ごろから自分でモルモットを育てたり、ヤギを育てたりして貯金をしていきました。途中やぎを全部売って牛を買おうか悩んだ時もあったんですけど、学生の自分にとって、牛は維持費が大変だから、ヤギを育てて売るっていうのを、繰り返してお金を貯めていきました。それを中学生の頃までやって、高校は自宅の近くに水産高校があったのでそこへ行きました。ちなみに高校入学も自分の貯めたお金で行ったんですよ!

 

アンさんの商い上手は祖父から学んだと話す。祖父が、ヤギを売って牛を飼っていたのをみていたので真似したそう。家計に負担をかけまいと、コツコツ貯めた資金で学校へいく。この話を聞いて、自分自身、当たり前に学校へ行けていた環境がどれだけありがたいことなのか改めて感じた。

日本へ行く気がなかったアンさん

 

元々は日本へ行くつもりなどなかったと話す。なぜ日本へ行くことを決心したのだろうか?

 

アン:海のことを勉強していろいろな体験はしていましたけど、日本へ行く選択肢は全くなかったです。学校へたまたま送り出し機関の方がきたことがきっかけです。自分はその頃勉強が嫌いでサボりがちだったんですけど、先生に「なんで授業を受けないの〜?」と言われて、正直に勉強することが嫌いな事や、その当時の先生と合わないことを伝えると、「それなら今送り出し機関の方がきてるから面接を受けてみない?」と言われたことがきっかけです。それで「あっ受かってしまった!」と言う感じです(笑)受かったからには日本へ行ってみようかなと思ったことがきっかけですね〜

 

そんなこんなで日本へやって来たアンさん。最初は納得の行くものではなかったそう。

アン:基本的に漁業で働くって情報以外はないなかで、一緒に勉強していた仲間が2人いました。まず、働く契約を交わす時に、お互い承諾の中に成立するものだと思いますが、機関の仕組み的にそれは難しく、どこへ行くのかなと不安でしたね。そんな中、配属の時に仲良くしていた仲間2人は同じ職場に配属され、自分1人が天洋丸へ行くことを知り、なんで1人だけ?と不安でした。日本へ来た後も、まず方言が分からなくて、自分が勉強してきた日本語が通用しないと感じました。あとは、自分の中にある日本のイメージが東京だったので、そこにも衝撃を受けました(笑)ただ1番は気候の違いがきつかった様に感じます。インドネシアは比較的暑いのに対して日本は冬がかなり寒くて、風、雨、そして海みたいな。最初はなんて所に来てしまったんだと思いました(笑)ただその時にいた先輩方に助けられて、3年の実習期間を全うしました!

 

日本のイメージのギャップを感じながら、気候の違いを感じながら、3年間の技能実習期間を経て一時帰国することになるアンさん。この帰国が3年間での学びを実行するためのターニングポイントとなる。

 

これからに繋がる帰国

アン:今回の帰国は4ヶ月間でした。若いうちにお金を稼いでおきたい思いから、天洋丸へ特定技能外国人として戻れるように準備をし一時帰国をしたかたちになります。国へ戻ってやりたいこともあって。まず車の運転免許を取りたかったこと、もう1つは会社を設立することです。会社は牛の家畜をしています。今はお父さんに任せていて、定期的にお父さんと、経営に関してミーティングをしたりしています。

 

実は起業するにあたり千代太社長の言葉がきっかけとなっていた。

アン:日本で稼いだお金をどうすればいいのか考えていた頃に、社長が「お金は貯め込むのではなく、できたら回す方がいいよ!」とアドバイスしてくださったことをきっかけに牛を飼おう!牛に投資して起業してみようという考え方に変わりました。現在は15頭の牛を飼っています。

 

10歳の頃から自分で稼ぐという感覚を身につけた商売人気質のアンさん。あの経験が今おおいに活かされているのではないだろうか。アンさんの成功の原動力は、家族への深い愛情だ。「家族を幸せにしたい」という強い想いを胸に、ひたむきに努力を重ねてきた。実は3年間の実習期間の間で、インドネシアに家を建てたそう。アンさんは今後、何を目指すのだろうか。

 

日本で学びたいことと、これからの未来

天洋丸での雇用期間が終了したら、アンさんはインドネシアへ帰っていくのだろうか?そんな疑問を抱きながら質問を投げかけると、アンさんがもっともっと先のことまで見据えた答えが返ってきた。

アン:天洋丸での実習期間が終わったら、また別の会社へ行きたいです。業種は漁業だけど、他の会社も見てみたい。社長が部下へどんな接し方をしているかとか、マネジメントにも興味があるし、営業の人がどんなやり取りをするのかなどを学んで最終的にはインドネシアへ帰りたいですね。これから結婚も控えているんですけど、結婚すると奥さんを残して日本へ来ることになるから、できるだけ今のうちに色々学んで帰りたいと思ってます。まだまだ手は届きませんが、最終的には焼肉屋さんができたらいいなと考えていたり。

まだ手は届かない夢と話すが、アンさんの実行力から実現するのだろうなと思える。

 

 

天洋丸にこれてよかった

日本に来るきっかけはたまたま受けた試験に合格したことから始まった。行き先も選べない中に、天洋丸へ仲間と離れ1人配属された。言わば縁が導いたような中に、天洋丸へこれたことの感謝を語った。

アン:天洋丸にこれていなかったら、インドネシアでビジネスをする考えには至らなかったと思う。なのであの時社長が「お金は貯め込むのではなく、できるだけ回した方がいい」と言ってくださったことがとても大きいです。寮も過ごしやすく整備されていて、仲間にも恵まれました。あと何年日本にいるか分からないけど、沢山の学びを持ち帰り今度はインドネシアでのビジネスに繋げていけたらと思います。

 

10歳で小さなビジネスを始めた少年は、ご縁と本人の努力が相まって、さらに故郷で起業家として羽ばたく。その根底にあるのは、家族へ想いから来ていると感じる。アンさんの挑戦は、これからも多くの人々に勇気と希望を与え続けるだろう。

 

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プロフィール

アン

会社情報

会社名:
株式会社 天洋丸
所在地:
〒854-0703 長崎県雲仙市南串山町丙9287-3 ( 天洋丸水産加工場・事務所 )
Tel:
0957-76-3008
Website:
https://www.tenyo-maru.com/

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