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K&L's factory 発達支援ルーム くじらぐも
子どもたちの未来を切り開く“生きる”支援。『くじらぐも代表・古賀一輝さん』
長崎県大村市の静かな住宅街に位置する「くじらぐも」。
館内にはいつも子どもたちの元気な声が響き渡り、可愛い施設名からは想像できないほど、活気と情熱が満ち溢れた空間が広がっています。
発達障害を持つ子どもたちを支援する場所として、また家族支援を大切にする施設として、日々の運営に携わっているのが、施設を設立した古賀一輝さん。
人並外れた熱い想いの裏にはどんなドラマが秘められているのか。
一輝さんの人柄と子ども支援への想いをお聞きしました。
スーパーポジティブが培われた子ども時代
「まずはフルネームと生年月日を教えてください」
「はい!古賀一輝です!昭和55年1月8日生まれ!B型!猿年です!」
私たちの質問に真っすぐ、溢れるほどのパワーで答えてくださった一輝さん。
少しお話しただけでも、素直で正義感の強い人となりと、スーパーポジティブと言われるゆえんが伝わってきました。
振り返ると、幼少期から元気いっぱいの毎日をすごしてきたといいます。
一輝「幼稚園生のころに強烈だった記憶は、お泊り保育の時の夕飯に大好きだったハンバーグンが出て、人一倍食べまくって戻してしまったことです。一発目からなかなかのエピソードですよね(笑) その他にも、お遊戯会で人一倍張り切って踊っている写真が残っていたり、とにかく元気いっぱいの子どもだったみたいです」
一輝「さらに小学生の頃がやんちゃのピークでした(笑) ガキ大将に喧嘩を売ったり、自転車で駆け回ったり、女の子にちょっかいを出したりと、今思えば何であんなことやってたんだろうと思うことばかりです。迷惑をかけた人こそ卒業式で泣くといいますが、案の定、人生でも一二を争うくらい泣いたのをよく覚えています」
子ども時代のことをハチャメチャでありながら、裏を返せば人一倍の好奇心と承認欲求を持っていたと、時折はにかみながら話してくださいました。
さらに、学校生活ではポジティブさにも磨きがかかっていきます。
一輝「小学生のころから、周りと比べたら異常なくらい挨拶をするようになりました。最初は人より元気が良いくらいだったと思うのですが、母や父、祖母がその姿をめちゃくちゃ褒めてくれて。さらに地域の人からも「お宅の息子さんは元気が良いね」って間接的に言われることが増えて、それがめちゃくちゃ嬉しかったんです!そんな姿が評価されて、中学校ではサッカー部のキャプテンを任されるまでになっていました」
「認められることが嬉しい」そんな一輝さんの人間性をつくったのは、厳しかった父親の存在が大きかったのだとか。
一輝「認められたいという気持ちの根本には、父の存在があると思います。父はとても厳しくて、熱い心を持った人でした。しょっちゅう怒られていましたが、私のことをよく見ていて、褒めるところは目一杯に褒めてくれる人だったんです」
一輝「子どもの頃の思い出は?と聞かれると、父が期待してくれることが嬉しくてテニスに打ち込んだことや、小学生の時に作った工作を「一輝!これサグラダファミリアじゃん!すごいぞ!」って褒めてくれたこととか、そんなことばかりが浮かんでくるほど、父に認められるということが私にとってはとても大きな喜びだったように思います」
今では一輝さんの代名詞になっている熱い心は、お父さんから受け継いだものも根底にあるように感じました。
「30分後に死ぬ未来を想像できるか?」
「あれは高校3年生時だったかな~…」と、人生の転機になったというお父さんとのエピソードを話してくださいました。
一輝「ある時、酔っぱらった父に「一輝さ、あと30分後に死ぬって想像できるや?」って言われたんです。酔っぱらいの戯言くらいに思っていたんですけど、当時の私の心には妙に響いて。試しに考えてみると、30分後に死ぬなんて全然想像できないんですよ。想像できないと言うより、死ねるわけないんです。そう感じるくらい、当時の自分は何も成し遂げられていないという感覚を持っていたんだと思います」
それからというもの、大学に入ってからは「やる気スイッチ」がONに!
ゼミでは積極的に手をあげたり、サークルでまとめ役を勝手出たりと、人が変わったように、何にでも積極的に取り組むようになっていったそうです。
大学の春休みを利用して、バイトして貯めたお金でバックパッカーとして海外にも飛び出した一輝さん。
ヨーロッパやアジアを回るなかで、またもや人生観を変えるような出会いがあったといいます。
一輝「カンボジアの世界遺産でもある寺院、アンコールワットに行ったとき、ある少年と出会いました。その子は親に養う力がないから、最低限の衣食住を得るために僧侶になったと話してくれました。厳しい生活を強いられているのにその目はきらきらと輝いていて「僕はみんなのために将来学校を作りたいんだ!」って打ち明けてくれたんです。なんだかもう、その姿に圧倒されて。自分はなんてちっぽけな人間なんだろうって感じたんです」
一輝「そんな海外での経験から、私のなかに4つの大きな柱ができました。1つ目は、大小関わらず、全ての出来事に心から感謝すること。2つ目は、旅する気持ちを忘れないこと。旅といっても旅行することじゃなくて、日常的に挑戦的な気持ちを忘れないということです。3つ目は、自分がもらうだけじゃなく、与えられる気持ちを持つこと。最後に4つ目が、肌の色や言語なんて関係なく誰とでも仲良くなれる“地球人”と呼ばれるような人を目指すということです。こうやって出来上がった柱は確固たる自信のようなものになって、今でも自分の生き方と、命の使い方を定めてくれているような気がしています」
くじらぐも設立の原点。笑顔が見える仕事がしたい!
海外での経験から、誰かのために何かをすることが自分の幸せだと気づいた一輝さん。
大学卒業後は旅行会社に就職するも、お客さんの顔が見える環境ではなかったことから、約4年ほどで転職を考えはじめたといいます。
一輝「自分の仕事で喜んでくれる人の顔を直接見たい。ありがとうの交換ができるような仕事をしたい。そんな気持ちに気が付いて転職先を探していたとき、作業療法士という仕事にたどり着きました。後になって「お前の人との接し方とか、人を想う気持ちは作業療法士にぴったりだ」と学生時代父に言われた言葉をふと思い出して。もしかしたら大人になっても潜在的に父の言葉がどこかに残っていたのかもしれないなんて、導かれているような不思議な感覚もあったりしました」
不思議な縁で転職を決め、昼間は働きながら、夜は夜間のリハビリテーション学校に通うという生活を送り、見事に作業療法士の資格を取得しました。
その後、佐賀の子ども医療センターに就職。
ここでの経験がくじらぐも設立の原点になっているといいます。
一輝「晴れて作業療法士としてのキャリアをスタートしたものの、医療現場では子どもたちにしてあげられる支援に限界があると気づきました。もっと家族に寄り添える支援を実現したい。この頃からぼんやりと、自分たちの施設を持つような将来を描き始めたような気がします」
医療の現場で4年間働いた後、子どもたちのことを考えると、3世代のつながりを大切にしたいという考えに至り、高齢者の方々との関わりも学ぶ必要があると感じて鹿児島に身を置くことになります。
一輝「鹿児島に同じく作業療法士の資格を持ちながら、介護保険事業を立ち上げた方がいらっしゃって。その方が起業塾もされていたので、結婚したばかりの妻と思い切って一緒に鹿児島に飛び出しました。高齢者の方々に向けたリハビリを経験させてもらった後、子ども福祉の事業の管理者にしていただいて、立ち上げの経験を一からさせていただきました。その事業が安定してきたので退職し、事業先を大村という場所に決めて、くじらぐもを立ち上げ、気づけばもう8年目になります」
生きる支援。子どもたちの幸せを一緒に見つけていきたい
大村という場所に根を下ろして8年。
施設を元気いっぱいに走り回る子どもたちの様子を見ていると、一輝さんがどれほどの想いをかけて日々運営を行っているか伝わってきます。
くじらぐもので大切にしていることのなかには、やはりお父さんにかけられた言葉が光っているそうです。
一輝「くじらぐもでは、子どもとそのご家族にとにかく向き合い続けるという姿勢を大切にしています。これは私が父から学んだものなんです。父は昭和のような厳しさを持っている人でした。だけど、人と向き合うことだけは誰にも負けないくらいの熱さを持っていました。だからこそ、父との関係性が難しい時期があっても、私は父親として、人として尊敬し続けられたんだと思います」
一輝「もう一つ、この仕事に向き合う上で勉強は常に欠かせません。人間の脳や体の作りって知れば知るほど面白いんです。例えば、親子間はスキンシップが大事と言いますが、ただ話したり見たりするだけより、実際に触れ合うことでいろんな感覚が子どものなかに入っていくと、それが脳の栄養となり、成長につながる一つの材料になるんです。このように、良いと言われているものには全て理由があります。だけど、情報が溢れてものの本質が見えにくくなっている現代では、その理由がご家族に届いていないことも多々あります。だからこそ、人間の本質的な機能を勉強して、それを的確に伝えていくことが私たちの使命の一つだとも感じています」
最後に、一輝さんはきらきらした目と弾む声で、今後のくじらぐもに対する想いを語ってくださいました。
一輝「妻と一緒にくじらぐもを設立して、私は誰かのために何かをやることと同じくらい、誰かと一緒に目標に向かうことも幸せに感じているんだと気づきました。支援を受けること、支援する立場でいること、この施設に関わるみんなが、それぞれが自分の幸せを見つけていける場所でづくりをしていきたいと思います」
私はこの奇跡のような毎日を想い余すことなく使うことができているだろうか。
お話を聞いているうちに、自分らしい幸せの本質を改めて見つめ直していました。
自分らしい幸せを見つけられれば、おのずと自分らしい命の使い方が見えてくる。
一輝さんの熱い想いが詰まったくじらぐもは、今日も子どもたちの未来を開く一日を迎えています。
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プロフィール
代表取締役
古賀 一輝
会社情報
- 会社名:
- K&L's factory 発達支援ルーム くじらぐも
- 所在地:
- 〒856-0806 長崎県大村市富の原906−1−2
- Tel:
- 0957-46-3396