島原の風と農家のぬくもり――ルーツが育んだ「らしさ」

本田さんの故郷は、長崎県島原市。雲仙普賢岳の麓、豊かな自然に抱かれたこの地で、彼女は3人兄弟の末っ子として生を受けた。実家は野菜や果物を育てる農家さん。季節の移り変わりと共に作物が実る、そんな環境でのびのびと育った。
お兄さんたちの影響は普段の遊びや、スポーツにも及んだ。小学4年生で始めたバレーボールも、お兄さんたちがやっていたから。「なんかお兄ちゃんたちもしてるし、バレーしようかな、みたいな感じで入りました」と当時を振り返る。
そんな彼女の子供時代の強烈な思い出を尋ねると、「骨折したことしか覚えてないです」と笑う。小学5年生の頃、バレーの練習で体育館が使えず、グラウンドで練習していた際、馬跳びで転倒し肘を骨折。しかし、その時は折れていることに気づかず、夜になってから痛みを訴え病院へ。しかも、お母様は旅行中で不在。「お父さんに『やばい、めっちゃ痛い』って言いながら…」と、当時の状況をユーモラスに語る姿からは、どこか肝の据わった一面も覗く。
末っ子として可愛がられたのでは?という問いには、「そうかなぁって感じです」と控えめな返答。しかし、両親が自営の農家さんだったり、お兄さんとも年がはなれていた事から、中学、高校と通学は車での送り迎えだったそう。温かい家族の愛情の中で、彼女の穏やかながらもマイペースな性格が育まれたように感じた。
好きこそ物の上手なれ?――学生時代の情熱とマイペースな選択
本田さんの学生時代は、好きなことへの情熱と、どこかひょうひょうとした選択の連続だった。
「小学校の時からずっとジャニーズが好きで。NEWSとかKAT-TUNとか。親戚のお姉ちゃんと一緒にライブにも行ってましたね」と語る彼女。音楽の好みは、取材の中で「歌詞よりも音程が好きか嫌いかで聴くことが多いです」と語った。まさに感覚派で理屈ではなく「好き」という気持ちに正直な姿勢が伺える。
英語にも早くから興味を持ち、高校は国際経済科へ進学。なぜその高校を選択したのか尋ねると、「進学校は嫌だ」と笑うあたりも、彼女らしい選択だ。大学も長崎の外国語大学に進み、英語への探求を続ける。

部活動の経歴もユニークだ。お兄さんの影響で始めたバレーボールは、中学1年生まで続けたものの、「本格派の、厳しい先生で…もう練習が始まる1時間前からストレッチとか、耐えられない」とその厳しさから離れることに。一方で、高校で入った視聴覚部(放送部のような活動)は、「一番ゆるそうだったから。見学に行ったら先輩がお菓子食べてたんで(笑)」という理由で入部。しかし、そこではアナウンス部門や朗読部門のコンテストにも出場するなど、意外な一面を見せる。
高校1年生の時には「※全生寮」という1週間の泊まり込み研修も経験。「教室の窓を絶対閉めちゃダメとか、誰とすれ違っても挨拶しなきゃいけないとか。もうみんな外に出たくなかったです」と苦笑い。理不尽とも思える環境にも、どこか淡々と対応する強さが垣間見えた。
※「全生寮」とは新入生を対象として行われる宿泊学習であり、クラス毎に4泊5日の日程で、1学期中に全クラス実施されます。 生活の基本・自他とのコミュニケーションを身につけるとともに、自己の成長に必要なことを多数学びます。
中学生の頃の夢は「保育士」だったというが、その理由を尋ねると「なんでだったんでしょうね。友達が言ってたから、自分もなろうかな、みたいな。子供はむしろ苦手なんですけど」とあっけらかん。深く考え込まず、流れに身を任せるような選択も、彼女の「人となり」の一つなのだろう。
大学生活は4年生の夏、大きな転機を迎える。「仲の良い友達がみんな留学しちゃって、友達いないならもういいやって。留年も確定してたんで」と、外国語大学を中退。その決断にも、彼女らしい潔さとマイペースさが表れている。
「ゆるふわ」の奥にあるもの――流れに乗りつつ、自分軸で進む

大学中退後は、半年ほどフリーターとして過ごし、その後、お父様の知り合いの紹介で現在の会社、株式会社フルカワへ入社する。
「最初は事務で売上の担当をしてました。その後長崎の部署と佐世保の部署が統合し大村へ来たことから私もこっちへ来ました」
現在はオカシノフルカワの店長として店舗を切り盛りする本田さん。「人見知りなんですけど、お客さんとは普通に話せますね。仕事モードになるというか。事務より店舗の方が合ってる気がします」と語る。
そんな彼女の根底にあるのは「平和が一番」という価値観かもしれない。「争い事は嫌なんです」という言葉通り、周囲と調和を保ちながら、おっとりと、しかし着実に自分の役割を果たしていく。

島原の自然の中で育まれた大らかさ、好きなことへの素直な情熱、そして「平和が一番」という揺るがない価値観。本田麻友さんの「人となり」は、一見すると「ゆるふわ」だが、その奥には確かな自分軸と、流れに逆らわない柔軟なしなやかさが息づいている。
数々のユニークな経験や選択は、時に周囲を驚かせたかもしれないが、それら全てが今の彼女を形作る大切なピースだ。「今後の夢は?」という問いには、「楽しく過ごせたら。海外旅行は行きたいですね、特に韓国に」と、やはりマイペースで自然体な答えが返ってきた。
自分の感覚を信じ、無理なく自然体でいられる場所を求める――。本田麻友さんの「マイウェイ」は、これからも周囲を温かく照らしながら、ゆっくりと、しかし確実に続いていくのだろう。彼女のこれからの歩みが、ますます楽しみである。