いとなみ研究室

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K&L's factory くじらぐも

剣道、海外放浪、農業。回り道こそが僕の強さ。放課後等デイサービス「くじらぐも」管理者 山川龍さんの物語

取材

写真(一部くじらぐも提供)

力強い「龍」という名前とは裏腹に、山川龍(やまかわ とおる)さんの佇まいは、どこまでも柔らかく、優しい。山川さんが管理者として立つ放課後等デイサービス「くじらぐも」には、今日も子どもたちの元気な声がこだまする。穏やかな笑顔の奥に隠された、驚くほど波乱万丈な道のり。彼の温かい眼差しが、なぜこれほどまでに子どもたちを惹きつけ、安心させるのか。その物語を紐解いていく。

『剣の道で求めた「本当の強さ」と、父との葛藤』

山川「昔はヤンキーだったかって?いや、わんぱくで自己中でしたね。つるむのは嫌いだったけど、とにかく強いのがカッコいいと思ってた。」

そう言って少年時代を振り返る山川さん。山川さんの青春は、剣道一色だった。きっかけは漫画『六三四の剣』への憧れ。単純に「かっこいい」と思ったことをきっかけに始めたそうだが、剣道特待生として大学の門をくぐったほどの腕前だ。

山川「剣道から学んだことはたくさんあります。特に礼儀ですね。『礼に始まり、礼に終わる』。そして、師匠からは『絶対に弱い者いじめはするな』と、その一点だけは厳しく叩き込まれました。」

その教えは、彼の根幹にある正義感の礎となった。しかしその一方で、強さへの純粋な憧れは、常に父親からのプレッシャーと隣り合わせだったという。

山川「父は剣道経験者でもないのに、すごく厳しくて。試合に勝っても『なんであんなに時間がかかるんだ』と内容が悪いと怒られ、負ければもちろん怒られる。いつしか、観客席にいる父の目を気にして剣道をするようになっていました。」

そんな彼に、高校進学を前に試練が訪れる。中学3年生の大事な時期にマイコプラズマ肺炎を患い、入院。福岡の強豪校への進学の道が絶たれてしまったのだ。体力は落ち、目標を失いかけたが、それでも彼は剣の道を歩み続ける。地元の高校で主将を務め上げ、ついには特待生として東京の大学へ進学する。

しかし、大学で彼の心は再び揺れる。


山川「もう剣道はやりたくない、と。バイトもしたいし、海外にも行きたい。高校の時に一度燃え尽きていたのかもしれません。」

進路に悩み、父に「剣道はもう、義理と人情でやってるようなもんだ」と本音をぶつけてしまった。ショックを受けたであろう父から後日届いたのは、意外にも一通の手紙だった。

山川「『プレッシャーをかけて悪かったな。お前が選手になれと俺が言ってたから、選手になれない自分に悩んでいるんだろう。これからは純粋に剣道を楽しんでほしい』と書かれていました。その手紙を読んだ時、ふっと肩の力が抜けて。そこからですね、本当に強くなれたのは。」

プレッシャーからの解放は、彼が自分自身の足で人生を歩き出すための、大きなターニングポイントとなった。

『自分を探す旅へ。世界と土が教えてくれたこと』

大学卒業後、山川さんの「自分探しの旅」が本格的に始まる。大学卒業後、専門学校で精神保健福祉士の資格を取得していた山川さんは、まず精神科病院にソーシャルワーカーとして勤務。しかし、組織のあり方に疑問を感じ、長くは続かなかった。

山川「昔から海外に憧れがあったんです。特にアメリカに住んでみたくて。」

その思いのまま、彼は日本を飛び出した。行き先は、当時ビザが取りやすかったニュージーランド。ワーキングホリデー制度を利用しての渡航だったが、現実は甘くなかった。

山川「エージェントを通したホームステイ先が、完全なビジネスで。リビングにカーテンで仕切りを作っただけの部屋、食事は美味しくないロング米と野菜炒めだけ。1ヶ月の予定だったけど、2週間で飛び出しました。」

途方に暮れていた彼を救ったのもまた、人の縁だった。偶然出会った日本人経営の中古車屋の助けで、レバノン人が営むシェアハウスに住み、日本食レストランで働き始めた。言葉も文化も違う人々との交流は、社交辞令のないストレートな関係性が心地よく、山川さんの視野を大きく広げた。

その後、資金を稼ぐために始めたのが農業だった。リンゴ農園での収穫作業は、山川さんの人生観を再び揺さぶる。

山川「農業が、もう楽しくて。太陽の光を浴びて、土に触れて、体を動かして仕事をする。きついけど、これが天職かもしれないと思いましたね。」

ニュージーランド、そしてオーストラリアへ。旅をしながら、リンゴ、オレンジ、そしてワイナリーでのブドウの手入れと、様々な農業に携わった。生きることに真剣に向き合う日々。時にはアジア人への差別に遭いながらも、彼の心はたくましく、そして豊かになっていった。

『なぜ福祉へ?なぜ「子どもたち」だったのか』

海外での農業体験にすっかり魅了された山川さんは、帰国後、叔父が営む農園で働き始める。14年もの間、人参や生姜を育て、充実した日々を送っていた。しかし、天候に左右される収入の不安定さという現実に直面する。

山川「この先どうしようかと考えた時、ふと思ったんです。精神科病院で出会った、心が疲れてしまった大人たち。もし、この人たちが子どもだった時に、誰かと出会えていたら。病気になる前に、何かできることがあったんじゃないかなって。」

大人ではなく、子どもたちに。自分の多様な経験が、何か役に立つかもしれない。その思いが、山川さんを再び福祉の道へと導いた。いくつかの事業所を経て、親戚の紹介という偶然の縁で「くじらぐも」と出会う。それは、人生の点と点が、ようやく一本の線として繋がった瞬間だった。

『僕にできること。褒めて、認めて、寄り添って。』

山川「僕たちの仕事は、何かを『してあげる』ことじゃないんです。ただ、子どもたちの声に耳を傾ける。そこから全てが始まると思っています。」

山川さんが大切にするのは、まず「褒める」こと。そして、言葉の力、「言霊」だ。

山川「昨日も、面格子を掃除してくれた子がいたんです。『すごいね!1年生なのにこんなことできるの?お兄さんだね!』って。そうすると、その子の顔がパッと輝く。その喜びが、自己肯定感に繋がっていくんだと思います。子どもたちには、とにかく良い言葉を使ってほしい。人を褒めたり、感謝を伝えたり。そうすると、不思議と自分にも良いことが返ってくるし、もめ事も減るんです。」

山川さんの支援の根底には、いつも「寄り添う」という姿勢がある。低学年の子には絶対的な安心感を与えるように寄り添い、高学年になるにつれて「こうしてみたら?」と選択肢を提案し、挑戦を応援する。

「僕自身、たくさん回り道をしてきましたから」と山川さんは笑う。

山川「でも、その経験の一つひとつが無駄じゃなかった。だから、ここに来る子たちにも、急がなくていい、そのままでいいんだよって伝えたい。最終的には、人に優しくできる、元気な大人になってくれたら、それが一番ですね。」

かつて強さに憧れたわんぱく少年は、今、本当の強さが「優しさ」にあることを知っている。剣の道で培った礼節、海外で学んだ多様性、農業で得た忍耐力。その全てを胸に、山川さんは今日も子どもたちの「心の居場所」を、温かく守り続けている。くじらぐもの下で育った子どもたちが、いつか社会という大きな空で、自分だけの色を輝かせる。その日を、誰よりも楽しみにしている。

ちなみに、昔バイクを乗り回し大きなアメ車が好きだった山川さん。そんな彼の現在の愛車は、たくさんの夢と野菜を乗せる、頼もしい軽トラックだそうだ。

 

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プロフィール

管理者

山川 龍

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会社名:
K&L's factory くじらぐも
所在地:
〒856-0806 長崎県大村市富の原906−1−2
Tel:
0957-46-3396
Website:
https://masterpiece1689.wixsite.com/kujiragumo1689

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