いとなみ研究室

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株式会社 FUKUNOTANE

幼い頃からものづくりが好きな、謎多きエンジニア井筒伊雄さん

写真

取材・文

幼いころからものづくりが好きだった

井筒さんは上五島で生まれ、食品会社に勤めるお父様の転勤で下関へ移る。3つ違いのお兄さんと2人兄弟で、ご両親は全く物作りには関係のない職種だったが、根本的にものづくりが好きな性格だった井筒さんは現在の仕事にもすごく影響を与えている。

井筒さん:父親が次の転勤で広島に行ったんだけど、後から母と兄と広島へ移ったかな。広島は幼稚園から高校までを過ごした。元々物作りが好きだったから中学の時にラジオとか作ってた記憶がある(笑)

ラジオ?!

井筒さん:子どもの科学って雑誌があってそれをよく読んでたんだけど、付録にあるものを作ったり、ラジオはゲルマニュウムって鉱石で作ったよ。

ラジオを手作りできることに衝撃を受ける中、あっさりとイヤイヤ付録とかあるしと笑顔で語った。中学生の時はものづくりだけではなく井筒さんの長身も活かしバレーボールに励んだ。

井筒さん:中学生になるまでは黄色い帽子を被った普通の少年だったけど、中学校でのバレー部は県で1、2を争う様な強豪校だった。そんな中でも工作クラブってのに入ってた。

強豪校で部活をしながら、工作クラブでも物作りをしていた井筒さん。ここまででもかなりのもの作り好きが伺える。

 

井筒さん:大学で大阪へ出て専攻は精密工学って工学系の大学へ進学した。今の仕事とは直結しないんだけど、最初の就職先が建築金物のメーカーで日本でトップクラスの所が広島にあってそこで研究開発を十数年やってたかな。

研究所では特許を取ったり耐震設計の基準が年々難しくなる中、解決できる様な画期的なパーツを開発し、国の建築研究所と言う機関に持ち込み大臣認定を取ったり活躍された。そんなストーリーを飾ることなく井筒さんは語る。

 

人生の転機

井筒さん:どこで間違ったか(笑)僕の友達がTシャツ屋をやってって、同じセミナーに来たそいつの友達がスキーショップをやってた。その友達がスキー板とかを売ってたんだけど、温暖化が進んで雪が降らなくなった。ある日その友達が営業に行くと、「用具はええけ雪持ってこい」って言われた訳ですよ(笑)スキー場の経営って大体12月のクリスマス頃にオープンして2月のバレンタインくらいまで雪がないと利益減っちゃうんだよね。

この出会いが人生の転機となり現在の仕事にかなり影響を与えた。取材の中で「雪を持ってこい」と言う言葉に凄く衝撃を受け、雪を持っていくと言うことが想像できず、どう言うことか聞いてみた。

 

井筒さん:たまたま僕が技術系だったんで、スキー営業の友達に呼ばれて「ちょっと雪作れんか」となったの。会社を作るからきて欲しいと言われたけどしっかりとした会社に勤めていたから1年くらい断り続けたかな。ただ技術開発研究所もマンネリ化してて面白くないな〜何か面白いことをやりたいなって思ってそこに第二技研を作りたいとお願いしたんだけど却下されて、もういいやってなって転職した。

元々寒いのが嫌いで氷やスキーはあまり好きではないらしいが、その頃スノーボードが出てきた頃で、スノボはされていたそうだ。そこで雪をどうやって持っていくかここから試行錯誤が始まる。

 

井筒さん:まずは、昔ながらのやり方で角氷を砕いてってやり方をしてみた。

スキー場の雪はふわふわなイメージが強く、氷を砕いて持っていくとどうなるのか全く想像がつかないなかお話を聞いていると、試行錯誤の連続で、失敗を繰り返しながら今のお仕事の土台となる部分を経験された。

井筒さん:普通に氷を作って砕くやり方だと雪質は良くないよね。色々な事を参考にしてもっと氷を細かく砕いて雪に近づける方法を考えようってので、世の中にある様々な製氷機を調べてたどり着いたのが、漁港や冷凍アイス用のある製氷機でこれは雪に近いような感じになるんだけど、それをさらにクラッシャーで12,000回転くらいで羽を回すと雪のように細かくなって、それを溶けないように冷やしたエアーでゲレンデに撒くんだよね。

さらっとお話をされるが、ここに辿り着くまでも色々なドラマがあった。側から聞けば辞めてしまいたくなるような出来事や、信じられないような出来事、苦労があったにも関わらず井筒さんはそれを楽しそうに語った。とても前向きで根っから物作りが好きだからこそ続けてこられたように感じた。

株式会社MARS Companyとの出会い

井筒さん:スキー産業もレジャーの多様化で、すごい数あったスキー場もだんだん減ってきてこりゃだめだってことで、辞めて、この頃には冷凍とか氷にかなり詳しくなってたんで、マイナス70度の冷凍装置を別の会社と共同開発で急速冷凍装置を作ったところ、たまたま今度ははまなす財団という道庁と開発局と経産省が作った地域振興財団に呼ばれて札幌で起業した。

この開発で北海道のホッケや蟹が氷の技術を活用することで東京でもお刺身で食べれるようになるなど画期的な開発がすすんだ。この開発がMARSとの出会いのきっかけとなる。

井筒さん:MARSは電場の技術を持ってて、僕は生鮮保持用のマイナス1℃塩分濃度1%のシースノーっていう製氷技術を持ってて概ねどちらとも鮮度保持なのでそういう括りで2つ柱があった方がいいってのでそこに就職した。ただ、最初5年くらいいてそこで開発したいものがあったんだけど、なかなか実現できなくて一度転職した。

いったん転職された井筒さんだが、MARSにいた頃の方が社長に就任され戻ってきてほしいと声をかけられるも、転職した会社で開発も進められていたためしばらくは戻れないと断っていたそうだ。ただ転職した会社で転機があり現在のMARSへ戻ることとなる。

井筒さん:じゃあ戻るかってなって4、5年経つかな。トータル10年くらい。それでやっていくうちに氷で色んなことができるようになって現在に至る。河原社長との出会いも社長が河原さんと知り合いで繋がった。

現在DIPSというマイナス20度の製氷装置をFUKUNOTANEで開発された。魚のことは詳しくないから河原社長から色々お話しを聞いてできる事を考えたりすると語った。30代ではログハウスを6段目まで作ったお話や、ここに書ききれないほどのことを語った。また昔からパソコンも好きで、特にマックのパソコンが好きでデザインをすることもあるそうだ。

井筒さん:昔Appleコンピュータ専門の「マックライフ」って雑誌があってそこから取材依頼が来て記事になって、それを見たAppleから93年のマルチメディアショーの講師として呼ばれた。マックとかデザインとか好きだからほんと自分が何やってんのか分からない(笑)純粋なエンジニアではなくエンジニアデザイナーって感じかな。大体のことは調べればわかるしね。デザインも付加価値にならないデザインはすべきじゃないしってことでデザインを合わせてやってるわけ!あとはこれしかできないとかではなくて、なんかあったらできる人を集めればいいじゃんってので自社工場とかはない。

現在も色々な事に挑戦され、「一つのことだけやってると飽きるし、適当にやってる(笑)」と笑顔で語る井筒さん。バイク、サーフィン、音楽、釣り、木工とたくさんの趣味を持たれて、仕事も未来の環境を考えて取り組まれたりと、一見謎多き方に見えたのが最初の正直な印象だが、たくさんお話しさせていただく中で飾ることなく笑顔で語る井筒さんは凄く魅力的だった。

こと記事に関しては下記をご覧ください

友達の友達がきっかけで氷博士となったエンジニア、井筒伊雄さん

プロフィール

外部engineer

井筒 伊雄

会社情報

会社名:
株式会社 FUKUNOTANE
所在地:
〒859-2411 長崎県南島原市南有馬町甲1213
Tel:
0957-85-2112
Website:
https://www.fukunotane.net/

株式会社 FUKUNOTANEのなかま

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