いとなみ研究室

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株式会社 フルカワ

一命を取り留めるところから始まった人生。日々感謝の気持ちに溢れている富永雅徳さん

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取材・文

喘息。生まれ持ったもの。

昭和26年波佐見の見渡す限り田んぼの町に富永さんは生まれた。生まれたすぐは喘息で息をしておらず、自宅から2キロ先の病院へお父様に抱かれ一命を取り留めた。

富永さん:小さい頃の思い出と言うと持病の喘息で夜中が苦しくて息ができなくて。背中に畳を重ねて母ちゃんが背中をさすってくれた。中学、高校は休まずに行ってたんですけどゼーハーゼーハー言いながら行ってましたね。家庭での思い出といったらそんなもんかな〜

 

森:小さい頃はどんな遊びをして過ごされていましたか?

富永さん:近所の子ども10人くらいで山に薪を取りに行ったりとか、野いちごとか木の実をとって食べたり。あと少し大きくなってからは百姓の手伝いばっかりですね。私たちの頃は農繁休暇って言って稲刈りとか田植えの時期は学校を休めてたんですよ。

家業の手伝いで学校が休める時代は、なんだか聞いていて温かい気持ちになった。働く親の姿をそばで見ることで学ぶことや尊敬の気持ち、家族とのコミュニケーションが自然に図れていた時代ではないだろうか。また喘息のことも悲観的ではなく、自分の生まれ持った運命として捉えられている富永さん。

富永さん:喘息は苦しかったけど、自分が持ってるものだから仕方がないと思っていました。友達はみんな元気にしてるからなんで俺だけこんな病気を持っているのかと思ったこともあったけどどうせ逃げられないから、これはこれで認めて頑張らないと!って感じでしたね。

 

今置かれている状況をマイナスに捉えるのではなくそれを受け入れて前向きな考え方をもった方だと感じた。物事の捉え方を少し前向きに捉えることで見える世界は違ってくるのではないだろうか。

森:子どもの頃の思い出深いエピソードとかはありますか?

富永さん:色々あるけど、1番は小学2年生〜3年生の時小林先生って男性の先生がいたんですけど、その先生が妙な先生で普通の日に遠足みたいにお弁当を持ってみんなで出て行って耳なし法一って平家物語を読んでくれてたんですよ。よく覚えてるのがそれ!あと学生の頃は勉強をよくしてたけど。今思うとそれしか覚えてない。でもそう言う思い出があるってことはいい先生だったのかなって思いますね。

何気ない日常が印象に残っていると語る富永さん。特別な事でなくても、日常に溢れる小さな幸せや、気づきを大切にできる方だと感じた。このお人柄がのちのフルカワさんへ就職し、役割としてすごく活かされている根本となっている気がする。

少しだけヤンチャになった学生時代

富永さん:高校は川棚高校で、当時進学にかなり力を入れてる高校でしたから、勉強、勉強、勉強で自宅まで先生が勉強をしているか見に来る程でしたね。大学も浪人しながらもなんとか合格し立命館大学へ行くことになりました。専攻は心理学科で、心理学科が何かと言うことも知らずイメージで。浪人もしてたし自分で頑張らないとと思って毎日働きながら学校へ行ってました。京都の有名な観光バス会社のガソリンスタンドのバイトをしていて夜の6時から翌日6時まで1人で請け負って友達を連れてきて遊びながらバイトをしてました。アルバイトして自由に使えるお金もあったし飲みに行ったり、色々な遊びをしました。その頃が薔薇色ですね〜

 

薔薇色のキャンパスライフを過ごし、いよいよ就職の時。

 

富永さん:京都で就職先は決まってたんですけど4人兄弟の長男でそれも男1人だったもんだから、父親は帰ってこなくて良いと言いつつも帰らせようと思ってたんでしょうね。大村に養護施設があって、県職員さんと同じ勤務条件で面接に行ってみるように言われた。大学を卒業してすぐ大村へ戻り、そこに行くことになった。養護施設には4年勤めました。この後は2年半くらい百姓を手伝って、川棚で学習塾を開いてそこで10年くらい。

塾の閉業

小学生から中学生まで約100人の生徒を抱え、収入も当時の一般的な給与水準からしたらかなり高水準な収入がある中、塾を閉業する出来事が起こる。

富永さん:結婚する前は仕事自体嫌いじゃないし良かったんだけど、中学3年生になると辞めて、次が入ってくる保証がない不安があって、正直辞めたいなと思うことがあった。そんな中火事で学習塾が燃えたんです。そこで辞める決心がついて閉業することにしたんですよ。

当時、41歳にして転職することとなる富永さんに奥様がかけた言葉が「焦らなくていいからしっかり自分の仕事を見つけるように」この言葉に救われ、今でも感謝していると語った。奥様の器の広さで株式会社フルカワに就くことができたのではないだろうか。

再出発

 

富永さん:結果的にはすぐ就職先は決まったんですが妻に焦らなくていいって言われて、正直ホッとしました。今は喧嘩ばかりするけど感謝してますよ。フルカワさんは遠い親戚のおじさんに紹介してもらったことがきっかけで入社することになりました。今でも覚えてるけどそのおじさんと雨の日に面接に行きました。

森:初めてフルカワさんへ行った印象はどうでしたか?

富永さん:印象も何も緊張で覚えてません。なんとか雇ってもらいたいと思ってました。面接を受けてすぐにでもきて良いよって現会長が言ってくださって、ありがたかった。ただ塾の生徒で中学3年生がいましたから受験がおわるまで教えて、3月26日から行きました。当時の経理担当者が入院をされる予定があって3ヶ月で引き継ぎをしました。

 

株式会社フルカワ

 

3ヶ月と短い時間の中で経理だけではなく、荷受けをしたりパートさんと品出しをしたり、トイレが詰まった時はその対応をしたり。マルチタスクに、自分自身の仕事以外できることはなんでもこなす富永さん。そんな富永さんは後に役員となり、社員さんやパートさんの相談役として、そして上層部との繋ぎ役としてフルカワにとって欠かせない存在となる。

富永さん:役員には58歳の頃なったかな?あんまり役職とか考えてなかった。役員は約10年くらいしたけど、私はトイレ掃除をしてても楽しかったから嫌なことはほとんどなかった。辞める時は、社員さんとのコミュニケーションを取ったり、なんでもしてたからそこが少し心配だったかな。

人が基本的にやりたくないことを率先されていたり、何よりも、どんなことをしていても楽しいと捉えられるその考えかたは見習うべき姿だと感じた。捉え方ひとつで同じ事をしていても得るものは変わってくると思う。

富永さん:だから、後輩には辞める前に思いを一生懸命伝えた。久々来てみたら、私がいた時よりも綺麗になってますよ!

森:社長(古川さん)とこの前お話ししていて、富永さんの部下が色々なことをやってくれるとおしゃってて。元を辿ると富永常務の役割があったからこそでしょうね。

富永さん:それはわからないけど、よく2人の社員に話していたけど思った以上に頑張ってくれてると思う。

感謝

 

富永さん:「なんでも手に入る今だからこそ、今の子ども達に伝えたい50年前の子どもの頃の思い」この仕事に携われることに誇りを持って、作ってもらう方に感謝。販売してもらう方に感謝。だからこそ皆様と共に子供達に夢を伝え続けていけたらと思います。

今置かれている状況が当たり前ではないこと。言葉の節々に感謝を感じる言葉がたくさん出てきた。

富永さん:自分の気持ちの持ち方次第で、「自分で幸せになれる会社」だと思えるんです。大企業なんか勤めたことないけど心の持ちようですごく幸せになれる。その辺を社員の方にも伝えていってほしい。やっぱり社員の人達に幸せと思ってもらいたい。仕事ができること自体に。

 

何事も自分ごととして、そして、そこには必ず感謝の気持ちがあり、当たり前ではないこと。株式会社フルカワに愛を持って勤められていたように感じた。今は定年退職をされているが、こんな素晴らしい方々がフルカワの歴史を作られて今があることを思うと自然と感謝の気持ちが溢れてくる。

プロフィール

富永 雅徳

会社情報

会社名:
株式会社 フルカワ
所在地:
〒856-0801 長崎県大村市寿古町811−1
Tel:
0957-55-7005
Website:
https://furukawa-inc.com/

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