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株式会社 フルカワ
「人との巡り合いを大切に。」そうして築き上げた人間関係が、守ってくれた。導いてくれた。『株式会社 フルカワ』 会長・古川芳和さん
「株式会社 フルカワ」
長崎県大村市で、お菓子の卸しや小売業を営む問屋だ。
一階にあるお店には、昔懐かしい駄菓子がずらりと並んでいる。
「学校終わりに、よく友達とお菓子屋さんに行ってたな~。」
「うわあ、これ懐かしい!久しぶりに食べてみよう。」
まるで子ども時代にタイムスリップしたような感覚で、あの頃感じたワクワクがよみがえってくる。
「子供たちに夢を、大人たちに思い出を」というスローガンのもと、子供から大人まで、たくさんの人をお菓子の力で笑顔にしてきたフルカワは、今年で創業73年目。
歴史あるお菓子屋さんの会長を務めるのは、古川芳和さん。社長の古川洋平さんのお父さんである。
芳和さんは、熊本の天草に、五人兄弟の長男として生まれた。
「泳いだり、魚釣りもね。夏は潜りに行って、その頃は魚も多かったし、サザエもアワビも取れよったね。非常に環境が素晴らしいとこに育ちました。はっはっは。」
さすがは五人兄弟の長男。リーダーシップは抜群で、中学時代は生徒会長に立候補した。芳和さんの叔父は町議員だったこともあり、当時は政治家になりたいという思いもあったそう。
高校は県内の普通校へ進学。東海大学の付属校だった。三年生の時、就職することが決まっていたものの、父からの期待により、内定を蹴り短期大学へ進学することにした。
通信系の学科で勉強し、いよいよ就職活動の時期がやってきた。100番通話(100番にダイヤルし、オペレーターに先方の電話番号を告げ繋いでもらい、通話終了後に料金を知らせてもらうサービス)のアルバイトの経験から、日本通信電話株式会社 NTTの採用試験を受けるも、結果は不採用。
就職センターの先生から勧められたのは、情報通信機器の開発、製造、販売などをする「株式会社 ナカヨ」だった。
「そこしかなかったからそこに渋々いかされて(笑)。でもそこが良かったね。」
芳和さんは生産技術部に配属され、群馬県にある工場で働くことになった。
製造に関する知識を取得したり、部品の加工をしたり。こつこつ真面目に働く芳和さんは、やがて第一製造という部署のリーダーになった。ここでの仕事は、すごくやりやすかったのだと。そのワケは、芳和さんの顔の広さだった。
「製造部門も、金型部門も、組み立て部門も、検査部門も、私の東海大学の先輩が全部いた。だから何をするにも、お願いできた。そういうつながりがあって、かわいがられたっていうかな。」
業務の他にも、テニスクラブを創立したり、自衛消防隊を務めたり。会社内にある東海大卒業生の集まりにも積極的に参加し、仲間たちとよく旅行に出かけたそう。人間関係が広く、どの部署にも知り合いがいた芳和さんは、「工場内で人気者だったんですよ」と嬉しそうに話す。
「結果的に、そこで得たものは私にとっての、最高の青春時代やったって思いますよ。」
仲間と肩を組み、仕事も遊びも、学生のように全力で楽しんだ。
父からの期待が、原動力だった
長男の芳和さんは、いつか地元へ帰り、実家を継ぐのが前提であった。「どうせ帰るなら早めに決断しよう」と、6年間務めた会社を、26歳のとき退職した。ところが、次男が天草市役所へ就職し、芳和さんが継ぐ予定だった実家は、弟が後をとることに。芳和さんは行き場をなくしてしまった。
そんな芳和さんに声をかけたのは、叔父だった。「商売人になれ」と、勤め先の第一建設工業を勧めてくれた。通信機器から建設へと転職した芳和さん。長崎へ移住し、働きながらも夜間の専門学校へ三年間通い、宅建の免許を取った。
芳和さんのお父さんは、非常に威厳のある方だったそうだ。幼い頃から、「長男は一旗揚げる」という教えを聞かされており、将来独立することも視野に入れていた。学生の頃は大学に行くために必死に勉強し、社会人としても真面目に働いた。父の期待に応えるため、必死に努力を積み重ねていたのだ。
「期待されとったね(笑)」
その期待がプレッシャーに感じることはなかったのだろうか。
「父の威厳っていうんですか。小さい時はそういうものを感じてたけど、大人になるとね、逆にそれが有り難かったかなって。」
有り難かった。
お父さまからの期待とは別に、芳和さん自身は何かやりたいことはなかったんですか?
「いや、もう特別ね。俺はこういうことやりたいっていうポリシーの下で、ひたすら頑張って生きてる姿ではなかった。あんまり信念がなかった(笑)」
夢や目標が特になかった芳和さんにとって、父からの期待は、原動力だった。父の想いがあったからこそ、職が変わってからも真面目に働くことができ、その積み重ねた「努力」が、芳和さんの「自信」になった。
10年勤務した建設会社を退職し、フルカワに入社したのは、奥さんとの結婚がきっかけだった。建設会社で営業マンをしているとき、知人からの紹介で食事に行ったときのこと。
「もう、すぐだよ。会った瞬間ね、『結婚するかもしれん』と思った。ビビッと来た。」
「いいなって思ったのは、やっぱり笑顔がね。明るいし。えへへ。それが一番だったかな。」
もともとフルカワに勤めていた奥さんと結婚し、芳和さんもフルカワに入社。33歳の時だった。
初めの4,5年は、営業マンとしての下積みだった。やがて営業部長に就任すると、新規開拓を進め、得意先を増やしていった。前職の通信機器会社と、建設会社での経験が大いに生かされたそうだ。
いち営業マンに、突然任された会社の舵取り。給料も睡眠もカットして、我慢し続けた
真面目にコツコツ働く芳和さんであったが、あるとき会社の景気は悪化し、なんと数千万円の赤字を抱えるほどになってしまう。役員会議にて、前社長が辞任することを発表したのと同時に、会社の舵を任されたのは芳和さんだった。
かっこよく引き受けたものの、会社はさんざんな状況だった。
「コンサルタントに、数字を全部持って行って、分析してくれって言ってね。結果を持って帰ってきたけど、なんだかよう分からん。儲かってないっちゅうのはわかる。(笑)」
状況がつかめず、どうしてよいか全くわからなかった。五里霧中とはまさにこのことだ。苦しいけど、やらなければいけない。会社を立て直すため、自分の給料は半分にカットして働いた。濃霧をかき分けながら、少しずつ、一歩ずつ進んだ。これまで、どんなところでもうまくやってきた自分の努力を信じて。
「もう、眠れませんでしたよ。生きた心地がしなかった。」
いくら頑張っても良くならない。そんな状況の中でも歩みを止めなかった芳和さんの苦労あって、少しずつ状況は回復してきた。
「我慢するときは我慢しなきゃいけないと思います。誰かが見てるし、その姿はね。で、くじけずに、前向きにとらえる。結果はついてくるし。何とか信じてよかったなってね、思いましたね。」
社長に就任して、13年。芳和さんが会社を立て直し、安定してきた頃、息子の洋平さんに継承の話をしてみた。
「会社がいい方向に向かっていて、渡してもいいなって思った。いま清算すれば、おつりがくるよねって、そういう会社になったんで、それが一番の引き時だと思った。」
息子の夢は応援しよう、そう考えていた芳和さん。それまで特別、「継いでくれ」という話はしていなかったそうだが、会社の状況が良くなってきたことを何気なく話したときのこと。
「どうするやっていったら、“よかよ”って。(笑)」
洋平さんはすんなりと受け入れ、71歳のとき、芳和さんは息子に社長を引き継ぎ、会長という立ち位置になった。社長という役を降りても、数年間は朝礼や営業会議にも出席していたそうだが、現在は洋平さんのやり方を尊重し、見守っている。
「頑張ってるなと思う、父親としてね。どういう方向でやればいいなっていうのを、彼自身が認識しているんじゃないですかね。彼は彼なりに努力しよったんやろね。」
出会った人との”ご縁”に導かれた
「私はおぎゃあと生まれたときからほんとに、周りから可愛がられて、いろんな人にお世話になって。3つ職が変わったけど、何となく乗り越えてきて。最終的には息子に事業を承継できたっていう面では、これ以上はないんじゃないかなと思います。だからすべてにおいて感謝してます。」
これまで、通信、建築、問屋と経験してきた芳和さん。転職したのは全て、人とのつながりがきっかけだった。
「やっぱりね、いい人と巡り合ってるとね、私。自分の能力よりも、周りの力で成長させてもらったのが一番かな。今でもそう思う。」
周りの方たちのおかげだ、と話す芳和さんだが、どんな人とも柔軟に接することのできる芳和さんだからこそ、たくさんの人を惹きつけているのではないか。
「『古川さんの笑顔はよかもんな』ってみなさんから言われたし、人と接することが大好きやったとかもね。だけん、営業向きなんでしょうね。(笑)」
芳和さんが、人と関わるうえで大切にしていることは何ですか?
「やっぱり一番大切なのはね、いいことをするっちゅうかね。相手に対しても、自分の足元に対してもそうやけど、そういうことをしないと、いい人と巡り合えないっちゅうかね。ま、いい人と巡り合うためにやってるわけじゃないんだけど。やっぱそういう風にやってるといい人とも出会う、かなと私は思いますね。」
「人間のつながりで助けられることはありますからね。そういうのは大切にしていかないといけませんね。」
「相手の求める、喜ぶものをね、やっていかないといけないと思う。利他ですよ利他。利他の精神で行かないかん。」
相手のことを思いやる気持ちで人と接すると、それが結果的に自分に返ってくる。会社の景気が悪かった時代も、利他の精神を忘れずに行動してきたおかげで、救いの手を差し伸べてくれる人がたくさんいた。この心がけのおかげで、いい人と巡り合い、支えられ、今の自分がある、そう語った。
人とのつながりを大切に。そうして築いた人間関係は、芳和さんを守り、導いたのだ。
プロフィール
会長
古川 芳和