
「昨日ね、スーパーでニラが安かったんですよ!」。保護者との面談室で交わされる、何気ない日常会話。その明るい声の主は、発達支援ルーム くじらぐもで児童発達支援管理責任者として活躍する山崎麻里さんです。子どもたちに加え、不安や悩みを抱える保護者たちにも寄り添いながら支援を行っている山崎さん。かつて心理カウンセラーを志していた彼女がなぜこの仕事を選んだのか、また、子育て中の立場から“ここは第二の家族”と語る仕事の魅力についてうかがいます。
まずはお母さんのことを、もっと教えてください。

くじらぐもが、子どもたちとのセッションに加え取り組んでいる支援のひとつに、保護者面談があります。子どもの成長について話し合うほか、親が抱える疑問や不安と向き合う仕事です。育児経験のある山崎さんは、共感や励ましも込めて寄り添います。
山崎 私は先生です、という構えを作らないようにフラットに接するよう心がけています。なので、まずは天気の話とか、スーパーの特売品の話とか、そんな話をしたりとか。最終的にお子さんの話になるんだけど、入口としては、お母さんのことをもっと教えてほしくて。だって、私もここを一歩出たら同じ母親だから、なにかヒントがほしいなって思うんです。
保護者が抱える悩みや要望を明確にしながら、子どもの発達の手助けとなるヒントを拾い集め、チームの職員たちと共有。それぞれの専門的な目線でフィードバックを施し、次のステップへと進めていきます。

現在は利用者さんの保護者との面談も担当している山崎さん。もともと心理カウンセラーを目指していた山崎さんにとって、これまで培ったノウハウが活かせると感じた仕事でした。しかし、最初の頃は大きな壁を感じたといいます。
山崎 やってみたら、頭で思い描いていることと実際やってみることがこんなにも難しいのかと。まさに、心理学科に入学したときと同じでした。
なんかすごいなこの人。心理カウンセラーだった叔母の影響で

長崎市で生まれ、大黒柱の父とそれを支える母、元気な二人の弟たちと5人暮らし。何よりも家族の調和を大切にしていた父親の教育方針はあたたかく、ときに厳しいものでした。山崎さんは、習い事や弟たちの遊び相手など、長女としての役割をこなしつつ、家族の枠から大きく外れすぎないよう立ち回っていました。
山崎 約束は守らなきゃと自覚はしてたけど、はみ出したくなるじゃんって。そんな狭間を行き来してましたね。「確かに、両親から食べさせてもらってるしな」とか思いつつ、早く働いて自由になりたい気持ちはありました。
そんななか、「心理カウンセラーになりたい」と夢を抱いたのは中学生の頃。関西の叔母の影響でした。
山崎 なんでこの人にはこんなに話しちゃうんだろうって、ずっと不思議だったんですよ。私の気持ちにも寄り添いながらあくまで中立でいてくれて、聞き上手で。なんかすごいなこの人、って思ったのが一番最初で。
学校の授業ではちょうど、将来就きたい仕事について調べるグループワークが行われている最中。
山崎 (心という)見えない部分をアプローチするために、どんなことができて、その結果、どんな風になっていくんだろうって思って、調べていくうちに仕事への興味がどんどん湧いてきました。
高校・大学を卒業したあとの夢への道筋がはっきりと見えました。そして、山崎さんの心にはずっとやりたかったあることが。それは、子どもと関わることでした。
子どもだったわたしが、子どもと関わりたいと思うまで
“子どもとの時間は発見の連続。いつも新鮮で、とても興味深い”。山崎さんがそう感じるようになったのは小学4年生の頃。いったいどんな経験をしたの? と思いつつ尋ねると、そこには、殻を破ってくれた恩師の存在がありました。

意外にも、なかなか親離れが出来ず登校しづらかったという低学年時代を経て、転校した先で出会った担任の先生がとってもパワフル。自身も楽しみながら、さまざまな活動やイベントを企画し、生徒や保護者みんなが顔なじみになれるよう思い出作りをしていたそう。受け身ではなく、子どもたちが自分の言葉で想いを伝え合って、大人たちともコミュニケーションを構築していくのを目の当たりにした山崎さん。それはまるで、もうひとつの“家族”のような、あたたかい輪が広がっていました。
山崎 公園で、滑り台で遊びたいのになかなか踏み出せない子がいて。「一緒に行ってみたらどうなるんだろう」って、一緒に滑ってあげたら「やったー!」って喜んでくれて、お母さんからも「ありがとうございます!」って。子どもってまっすぐだなと感じるようになりました。その時は私もまだ子どもなんですけれど(笑)。
「よーし、これで頑張ろう。」こうして、心理カウンセラー + 子どもと関わることとなった山崎さんの夢は、両親をはじめ教師たちの熱い応援もあり、無事に大学の心理学科入学までの道をまっすぐ駆け抜けていったのでした。
とまどい、そしてB型事業所で掴んだ実感

無事に大学入学を果たしひと安心したものの…。
山崎 蓋を開けてみると、あれ、なんかちょっと思ってたイメージと違う、みたいな感じになって。
子どもの福祉についても学びたかった麻里さんは、その実践面とはかけ離れた、歴史や科学的な心理学の奥深さに戸惑いました。
山崎 やっぱり、心理的な見えないものを見える化することはこんなに複雑なんだ、とか、一筋縄じゃそらいかないよねって。ただ、あきらめたくないと試行錯誤し、「私なりのやり方でやってみようかな」みたいな感じになりました。
山崎 だから、心理学だけにこだわらずに、良いと思えば何かをやってみよう、と。母からは「時には立ち止まって振り返ってみなさい」って常々言われていたけれど、私は今を生きたいって思ってましたから、大学時代もまっしぐらでした。
そんな山崎さんは、在学中にパートナーと出会い、結婚し出産。人生の一大イベントを一気に叶えた、超濃厚な4年間でした。
就職を待たずに結婚生活へと突入したのち、社会人デビューを迎えたのは就労継続支援B型事業所。「就労継続支援って何だろう。だけど、興味があるから行ってみよう!」と持ち前の好奇心でパート勤めからスタート。自閉症の若い利用者さんがどら焼き生地を作る作業をサポートしたときは、試行錯誤の末、その工程を紙に書いて視覚的に示し、本人のペースで覚えられるよう工夫をしました。その結果、「山崎さん、できました!」と、嬉しい報告が。
山崎 やっぱり、支援が必要な人たちにもできることはいっぱいある。幼い頃に出会えてたら、もっと出来ることってあったのかな。
嬉しさの反面、職員の数が利用者の数に対して見合っていない問題も見え、もどかしい気持ちに。体も心も成長が著しい、若葉の芽の時期に、支援が必要な子どもたちに手を差し伸べられたら。そうしたら、私は一体どんな関わり方ができるのか。そう思いながらふとスマホの検索窓をのぞいてみると、目の前にくじらぐもが現れました。
気が付くと、山崎さんは代表の古賀さんに電話をかけていました。ちょうどそのとき鹿児島に滞在中の古賀さんを驚かせながら面接の約束をし、後日、仕事着のジャージのまま、一心に働きたい想いを伝えました。
山崎 夫からは「すごくいいと思うんだけど、ちょっと事前に相談してほしかったかな…」って苦言を呈されまして。確かにそうだよねって(笑)。
もうここだと決めたんです、と笑う山崎さんはきっと、あのとき空にダイブして、くじらぐもを両手でがっしりと掴んで離さなかったのかもしれません。
十人十色に歩み寄る

心理カウンセラーを目指したときから? 子どもの可能性を見出した小学4年生から? いずれにせよ、「よーし、頑張ろう!」と発進した麻里さんの飛行船はくじらぐもへとたどり着きました。とはいえ、ここはまだスタート地点。同じ子育て中のママとして、保護者の方々とカウンセリングを重ねながら、子どもたちの未来に向けて二人三脚で歩みを進めています。
山崎 まずは、「お子さんを通してお母さんと出会うことができました」と、感謝の気持ちをお伝えすることもあります。
十人十色の不安や悩み、子育ての方針など、大きな違いに落ち込むこともあれば、ハッと気付くこともあります。なにより一番大切にしたいのは“この子を成長させたいのは、私も保護者さんも同じ”という思い。考え方の違いを受け入れ、その悩みや伝えたいことを明確にしていくことが大切だと山崎さんは語ります。
例えば、「子どもが寝てくれない」といった悩みに対しては、運動や脳との関連性、また、睡眠そのもののメカニズムや重要性について少しずつ伝えるように。
山崎 今日は10段階のうち3ぐらいまで話して、お母さんとそこまで共有出来たらOK。1回で終わらせないように心がけています。
先生としてすぐに提案はせず、心の根っことしっかり向き合い、言葉もひとつひとつ選びながらの伴走です。その成果が見えたときは何よりも嬉しいもの。
山崎 お子さんの支援について、お母さんの方から「〇〇してみたらいいのかな……」などのお言葉をいただくと「いいですね、その気付き!」って言って。私もいま、同じタイミングでそんなこと思ってて嬉しいですっていう感情を素直にお伝えします。
子どもの発達という目に見える部分と、心という目に見えない部分のどちらも見つめなければいけない仕事。まさに、麻里さんがこれまで歩んできた、心理カウンセラーになるための経験が大いに活かされています。
ここは第二の家族
山崎さんが、子どもたちとの関わりで特に大切にしていることは、「まず自分が楽しいと思えるかどうか」。子どもたちの行動や思考にポジティブな興味を持つこと。背伸びをせず、純粋に知りたいと、その子に歩み寄れるかということ。そして、チームの職員の皆さんとの連携やフィードバックです。

山崎 私は、ここが第二の家族だと思っています。だからこそ、支援でつまづいたり何か思うことがあったらここでちゃんと話そうって。結果的にプラスに繋がれば結果オーライだから、「できなかったことはできなかった」と言える職場にしたい。支援は1回や2回で終わるものじゃなく、年単位で続くものだから。色んな職員が関わって、次に繋げていこうという思いで支援を続けていけば、「自分ができないことを認められる強さ」も身につくと思うんです。
正解がないからこそ、子どもたちや保護者、職員が一緒になって走り続ける。それぞれが想いを共有し、つねに自分と答え合わせをしながら。
ちなみに、山崎さんいわく。
山崎 我が家(第一の家族)が“現場”だと思っています。上の子が高三、下が小五で、しょっちゅう彼らに鍛えられてますよ(笑)。