「営業は、友達作りの延長。仲良くなったほうが早道でしょう。」そうにこやかに語るのは、株式会社フルカワ 社長室長の前川和廣さん。

取材当日、前川さんは緊張した私に向かって、笑顔で会話を重ねてくれた。
前川 出身は? それやったら、あのお店は知っとるやろ?
そこから話が広がり、初対面だったが小さな共通点が見つかった。前川さんの和やかな雰囲気に、自然と肩の力が抜けていく。
取材前に情報を聞き出そうと、代表の古川洋平さんにお話を聞いた。すると、「前川さんは3回、うちを行ったり来たりしてるんです。」と。どうやら22歳で入社し、それから三度の入退社を繰り返し、今に至るそうだ。え?3回も?!
しかしその経歴は、決してふらふらとしているわけではない。それは、前川さんの確かな決断の連続だったのだと、お話を聞いてそう思った。「営業は天職かなって思います」そう語る前川さんは、これまでどんな道を歩んできたのだろう。
“真面目に不良”な学生時代
前川 子供の頃は、おとなしくて、人見知りで、照れ屋。絶対ウソ!って誰からっちゃ言われる(笑)。
小学生の頃からそろばんや水彩画、書道、柔道など、両親の意向で様々な習い事を経験するも、どれも長続きしない。そんな前川さんが唯一夢中になったのは「乗り物」だった。
前川 自転車に乗るのは好きやった! いろんなとこ行くのが好きで、子供の頃から早くバイク乗りたい車乗りたいって思いよった。運転しよる人見たら、うらやましゅうしてたまらんくて。親の目盗んで車の鍵かけて、家の駐車場で練習してみたりもしよったよ(笑)。
ええ! それは、誰かに教えてもらったんですか?
前川 自己流。だって教えるわけなかたい!(笑)
そんな驚きのエピソードから、好奇心旺盛で、やってみたい! という気持ちに正直な前川さんの人となりが垣間見れる。ユーモアたっぷりと話す様子に空気はさらに和み、取材は進んだ。

高校に進学しても相変わらず乗り物への熱は冷めず、次はバイクへ興味が沸き始めた。
前川 16歳になったらパッと免許取れるように、15歳から自動車学校行き出してね。
バイクは買ってもらえたのだろうか。
前川 親父に買ってもらった。最大のすねかじりでね。親父、酔っ払ったらパワーアップしてなお優しくなるけん、酒飲ました時にね、「今度バイクばこうてやらん?」って聞いて、それも録音ばしながらね(笑)。次の日はぐらかされるって分かっとったけん、録音ば聞かせて、ほら言うたたい!って(笑)。
そうして念願のバイクを手に入れ乗りこなすも、先生に見つかってしまい、愛車と免許書は没収される。「学校辞めるか、部活辞めるかどっちかにしろ」と迫られ、「部活はやめません学校辞めます」と言い放ちさらに激怒されるという始末。
前川 法に触れるようなことは何もしとらんもん!”真面目に不良”しよったと(笑)。
そんな前川少年の財産は、「友達」だった。学校と距離の近い場所にある自宅は、常に友達が集う場所に。前川さんはその輪の中心にいた。今もそのご縁は途切れず、キャンプや新年会を開いて定期的に集まっているそう。「営業は、友達作りの延長」。この時の経験が、すでに前川さんの今に繋がっていたのだ。

高校卒業後は、タクシーとガソリンスタンドを併設する会社に就職。メンテナンスの仕事に取り組むも、運転したいという気持ちが抑えられず、1年で運送会社に転職。しかしとある事故で腰を痛め、肉体労働の厳しさを実感したそうだ。
そんな彼に転期が訪れたのは、とある建設会社に入社してからだった。
トークの下手な営業マン
前川 面接の時に、どういう仕事するんですか? って社長に聞いたら、お得意さんのことろを回って、工具のアフターフォローをしてくれって。..なんかようわからんけど、やってみようかなっていう感じで入ったんです。そこで俺の運命がだんだん営業に傾いていったんですね〜。
任されたのは、営業の仕事だった。スイス製の電動ドリルを、職人や建設会社に出向き、とにかく売り込む。当時まだ知名度の低いメーカーで、値段も日本製のものより4倍する。営業マンの力が試された。しかし、まだまだ人見知り全開だったという前川さん。人前で堂々と話せる自信もなく、「やめようかなって思いよった」と当時の素直な気持ちをこぼした。

そんな後ろ向きな前川さんに、希望の光が。もうひとりの社員がフォローに来てくれ、ふたりで営業に行くことに。
前川 俺、売りきらんけんねって言ったら、「よかよか、俺が売るけん黙ってみとけ」って言われて。
今では「営業が天職だ」と語る前川さんも、初めは自分からドアをノックして入るのにも勇気が出ず、ただ人の後ろに立っているだけの情けない営業マンだったのだ。全てを相手に任せ、後ろで黙って聞いていると、あることに気づく。
前川 その人のトークが、下手くそだったんです(笑)。
ええ? あんなに自信満々だったのに??
前川 でも数をこなすうちに、やがて売れるんですよね。その時は売れた!と思って、嬉しかった。そのうち、「こんくらいなら、俺の方が気の利いたこと言えるかもしれんばい!」と思えてきて、ごめんけど俺に喋らして?って言ってね。最初はしどろもどもでも、だんだん、ここはこう言ったらいいねとか、こう言えばすぐ断られるけん、そのセリフは言わんどこう、とか、色々学習してきて。そうするうちに売れた。自分で売ったら、またさらに嬉しいね。
新たな自分と出会った瞬間だった。「もしその人のトークが優秀やったら、自分との差を感じてここまでできんやった。」と当時を振り返る。
前川 テレビで何十年ぶりに会いたい人ってあるやろ、俺、その人に会いたいね。その人と出会ってなかったら、ずっと配送しよったかもしれん。
そこから経験を積み、3年後に退職。「何も決めないまま、他のことをしたいなと思って辞めた」そうだ。フルカワに入社したのは、母親からの紹介がきっかけだった。22歳で入社し、最初に任されたのは配送。営業をしたいという気持ちと葛藤しながらも仕事に打ち込む日々。やがて新規開拓の仕事も任されるようになり、佐世保市内の小売店を回ったり、五島に出張へ出向きながら、次々と交渉を進めていったという。

さて、最初に触れた通り、前川さんは3度、入退社を繰り返している。最初の退社は、30歳を過ぎたころ。
前川 焼き鳥屋をしてる身内が店を辞めるって聞いて、店舗を譲るから継がないかと話があって。やってみたかねってつい言ってしまったら、ダチョウ倶楽部のノリで、どうぞどうぞって(笑)。
その人と一緒に店を切り盛りするものの、性格が合わず、やがて前川さんはひとりに。そこで続ける勇気も出ず、わずか1年ほどで辞めたそう。
するとある日、フルカワから連絡が。営業担当を募集しているから戻って来てくれと言われ、35歳でふたたび入社。それから二度目の退職を決めた56歳まで、ノンストップで新規開拓、仕入れ、配送など、会社のほとんどの仕事を網羅した。
自分を売っていきなさい
前川 最初の頃よう言われよったのは、自分を売れって。前川くん、自分をしっかり売ってきなさいって。結局、友達作りするには、自分はこういう人間ですよとか、ストレートには言わんでも、雰囲気を出したり、いろんなことでアピールして、そしたらだんだん相手から印象がつくわけですよね。なるほど、これが自分を売るっちゅうことかと思って。
この言葉は、どうも自己開示が下手くそな自覚のある私に響いた。分からないことや知らない話をされても、その場の空気に流されたり、相手にどう思われるかを気にしてどうしても素直なことを言えない時がたまにある。
前川 そうしたらそう言えばよかたい。なんでこんなこともわからんとかって思われるようなこと聞いてしまうかも知れませんけどって。逆になんも言わんやったら、ある程度知識あって来とるっちゃろねって、向こうが構えるかもよ。でも俺もね、すぐには気づかんやったよ、何年もかかった。まずは仲良くなること。商売の付き合いやけど、ちょっとでもフレンドリーになってやれたら、その方がお互い気を張らないで自然な形でやり取りできる。
それは、これまでの経験の中で導き出された、前川さんの”柱”となるものでした。

そうして仕事のコツを少しづつ掴んでいった前川さん。このままずっとフルカワにいるかと思いきや、前川さん、3度目の退職。九州地方の営業担当を募集している会社があると聞き、興味が湧いたそう。
前川 意地じゃないけど、最後どこまで通用するかやってみようっていうことで、やりました。
扱う商品も違う、仕事のやり方もこれまでとは全く違う環境での再スタート。戸惑いながらも、これまでの経験を活かして順調に売り上げを伸ばしていった前川さん。
ところが、そんな矢先にコロナ禍が訪れた。会社の事情で退職せざるを得なくなり、60歳で会社を離れることに。
前川 まだ遊んどく訳にはいかんけん、仕事探さんばと思ってね。いろんな会社に履歴書送ったけど、すぐ断られた。面接までもいかんやった。やっぱりこの年齢やったら厳しいとかなって。
そんな中、フルカワ代表の古川洋平さんは、月に一回必ず会おうと声をかけてくれていたそう。「戻ってこいっていう意味で呼んでもらいよったと思う」と前川さんは言う。しかし、自分が戻っても他の人たちがやりづらさを感じてしまうのではと不安を抱えていた前川さんは、戻るのを躊躇っていた。
そこで3度目の入社を決めたのは、なんとフルカワにいた頃の、取引先の相手だったそうだ。「戻って、またやってくれんか」と背中を押され、それから今の”社長室長”と言う立場に。
行ったり来たりの道のりの中でも、前川さんは関わる人とのご縁を大切にしてきた。だからこそ、道に迷った時も気にかけてくれる人がいた。

取材中も何度か電話が鳴り、その度に真摯に対応する前川さんの姿から、これまで築き上げてきた信頼を、大切に守りたいという想いが伝わってきました。