いとなみ研究室

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株式会社 フルカワ

人生の経験を最大限生かす。『楽しいから、やるんだ。』 株式会社フルカワ 前取締役専務・山﨑 晃三さん

取材 / 写真

仕事と向き合う上で大切なこととは一体何なのだろう。
結果、数字、過程、対人関係、表現力など職種によっても答え方は様々だろう。
またはその全てと答える人も居るかも知れない。
人の数だけ答えは違うだろうが、今回はそんな中でも是非この【ひと】を紹介させて欲しい。

コツコツと思い切りのテルミ少年

晃三と書いてテルミ。初見で読めた人は人生で一人しかいなかったという。
昭和22年、1947年6月19日長崎県佐世保市稲荷町で生まれた山﨑さん。
小学1年生の1学期までを稲荷町で過ごし、2学期に入るタイミングで両親が会社(現株式会社フルカワ)で初めての小売店ぜにやを上京町で開店。
その2階を住居とし10歳になるまでのおよそ4年間を佐世保市の四ヶ町の繁華街で生活をする。

当時は今のようなアーケードは無く、それぞれ店の上に住むというスタイルでの生活が一般的だったそう。
そのため、そこに住む子供たちはみんな友達で学校が終わるとみんなで夕方からお店の閉まる夜まで遊んでいた。
それぞれお店を行き来したりは当たり前だったそうだが、お菓子屋の息子だった晃三さんのお店には自然子供たちが集まる場所になっていたと言う。
友達の多い少年だった。

小学校5、6年で剣道をし中学でも剣道部に入部するも先輩と合わず退部。その後テニス部に入部するも先輩と合わず退部。
当時の厳しい上下関係に疑問を抱いていた晃三少年はなんと3年に上がる頃に当時仲の良かった友達と二人で応援団を部として立ち上げる。
1・2年生の頃、上級生に厳しく指導された歌の応援のやり方を変えたいという思いから新たに部を作るという選択をした行動力と思いやり溢れる少年である。
応援団としていろいろな場所へ行き活動ができたことは山﨑さんの良い青春時代の思い出になっているそうだ。
この行動力はなかなか学生のうちから身についているものでは無い。
高校時代は最初のテストで630位中603位というとんでもない結果を出してしまい、このままではまずいと部活動には所属せず勉学に励んだ。
その甲斐あって3年の最後には200位代まで成績を上げたという。コツコツと努力を積み重ね数百人を抜いていったなんとも頑張り屋さんな晃三青年であった。

大切にしたい自分の中の譲れないもの

ものづくりが好きだった山﨑さんは設計の道に進みたいと大阪にある工業系の大学を受験するも浪人。その後九州にある電気系の大学に進学。
それでも建築関係の勉強がしたいという思いを諦めきれなかった山﨑さんは大学を中退。持ち前の行動力を発揮した思い切った決断である。
東京の建築科のあるデザイナーズスクールへ入学し直し2年間勉学に励んだ。

卒業後は東芝住宅工業株式会社(現在の旭化成住工)へ就職。
設計部門を希望するも、仕入れ部門への配属が決まった。

何度かの転勤もありながら、大手企業を相手に仕入れの仕事をしていった山﨑さん。
木材や鉄骨等仕入れの種類は多岐に渡り当時まだ20代と若かった山﨑さんにとって、自分よりも年上の取引先の人たちと仕入れのやり取りをするのには随分と苦労をした。
まだ若いからと相手にしてもらえないことがあったり、優しく指導してくださる取引先の方もいたりと大変勉強になったと山﨑さんは当時を振り返り語った。

仕入れ・卸し・工場・納期等、それぞれの板挟みにある状態で各方面からの主張があり譲れないところがあり、それでもどうにかしなければならないという現実があり、苦しくなることもあった。このままの仕組みでいいのだろうかと山﨑さんは感じたという。
幼い頃、お菓子屋さんで父親がやっていた仕入れに対する仕事とのギャップに違和感を感じた山﨑さんは思い切って9年間勤めた会社を退職。地元長崎へ戻り家業を継ぐ決断をする。

面白かったからできたこと

仕事に対して面白いと感じる瞬間があるだろうか。

あるとするならば、それはどういう時なのだろうか。

株式会社フルカワに入社してからは営業を担当した山﨑さん。
ここで学生時代に学んだ設計や、サラリーマン時代の仕入れのノウハウがかなり生かされたと語った。
30歳を過ぎて地元に戻ってきた山﨑さんは幼少期の頃に見ていたお菓子の種類や梱包方法等とは全く変わっていたことに驚いた。当時一から覚え直すのに苦労したという。
その為、山﨑さんは営業から会社に戻ると、ひとつひとつ商品を見て記憶していった。一時は全ての商品だけでなく在庫まで頭の中に入っていたというから驚きである。そのコツコツ精神は学生時代から変わらず生き続けいていた。

仕入れだけでなく仲卸し業務も任せられた山﨑さんは商品の種類や在庫、価格帯やメーカー毎のリベートに至るまで全てを頭に叩き込んで営業に挑んだ。脱帽である。
ワンクリックで様々な情報が手に入る現代に生きる私たちからすると、とてつもなく根気のいる果てしない仕事のように感じる。
お菓子の仕入れをする際の駆け引きやトーク術はもちろんのこと、商談を成功させることに重きを置くだけでなく会社の利益に繋がるような取引をするということを徹底し、分析を怠らず見積もりを作ることができたのは前職での経験が大変生かされたと語った。

カルビーやチロルなど大手お菓子メーカーとの取引から地元に根付いたお店とのやり取りに至るまで、長崎に戻ってきてからの営業の仕事は楽しかったと語った山﨑さん。
自ら企画書を提出したり、個人店での販売売上を伸ばすための仕掛けを一緒に考えたり、商品別の売り上げランキングなんかも作ったりした。驚きなので何度も言うが今のようなデジタル社会ではない。

実際に当時、全て山﨑さんが手書きでまとめられていた商品ランキングや原価、粗利表を見せてもらった。

そこまでの信頼を得る仕事をすることは決して容易ではない。自発的にお店のため売上のために取引先と真摯に向き合う姿勢が高く評価された結果である。設計の勉強をしていた山﨑さんは図面を書いて提案をしていったという。ここでも過去の経験が大いに生かされた。
一度実績を残すとあとはどんどん結果がついてきたという山﨑さん。それからは他のお店から依頼されてもお任せくださいと土日を返上して働くこともあった。

全ては【面白かった】から。

それから数十年、50代になった山﨑さんに事件が起こる。
大腿骨骨折、一ヶ月の入院生活を余儀なくされた。仕事中の事故であった。
そんな中、お見舞いに来てくれた人は家族友人だけではなかった。
取引先やメーカーさん、本当にたくさんの仕事で関わった人たちが来てくれその数は100人を超えたという。
数字や業績、業務だけをこなすだけであったならばきっとこれだけの人の足が山﨑さんの元へ向くことはなかっただろう。
ひとりひとり、お店ひとつひとつと向き合って仕事を続けてきた山﨑さんだからこそ多くの人の心を動かすことができたのだと感じる。

意識をどこに持っていくか

当時の社長(現会長)と当時の山﨑専務としてツーショットを撮らせてもらった。

商品は同じである。
だが、そこには仕入れる人、卸す人、販売する人、購入する人なんかがいて、同じ人はひとりといない。
それぞれ違う人で違う感覚で違う生き方をしている人たちの心を動かす仕事というのはやはり向き合うしかないのだ。
それぞれにあった商品をそれぞれに合った提案の仕方で向き合う仕事が、山﨑さんは【面白かった】のである。
その柔軟性こそが山﨑さんの強みであった。正に天職だ。
今目の前にある仕事をなんとなくこなしている人はどれだけいるのだろう。逆に面白いと感じている人がどれだけいるのだろう。
させられているのではなく自発的にやりたいと思って行動できている人がどれだけいるのだろうか。
実際筆者もこの記事を書かせてもらっている間、山﨑さんの言葉に何度もハッとさせられた。

私は今まで仕事とどう向き合ってきたんだろう。

デジタル社会になり、出来ることが沢山増えた。便利なシステムもどんどん増えてより豊かになった。
分からないことはすぐに調べられ、過去のデータなんかもさっと出てくる。

それでも変わらないものがある。【ひと】が関わっているということ。
ひとには心があって、心はシステムでは操作できない。
ひとと関わっていく以上ひとと向き合うというのは何よりも大切なことである。

株式会社フルカワの営業という分野に長年携わり取引先を開拓していった山﨑さんはこう言った。
『楽しいから、やるんだ。』

例え同じ業務内容だとしても、どういう気持ちで臨んでいるのか。
惰性で動くのではなく、自分の意志を持って行動すること。

今回の取材では、今一度自分や自分の行動を見つめ直す機会をもらったように感じる。

そんな情熱を持った営業マンがいた株式会社フルカワ
新たな世代にバトンが渡された今、これからの活躍もとても楽しみである。

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プロフィール

山﨑 晃三

会社情報

会社名:
株式会社 フルカワ
所在地:
〒856-0801 長崎県大村市寿古町811−1
Tel:
0957-55-7005
Website:
https://furukawa-inc.com/

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