兄の右腕になる、では足りない。工場長という肩書きの先にあるもの。

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「ロマンなんですよ。」
落水隆正さんはそう言って笑った。
話していたのは、養鶏でも、工場でもない。自作パソコンの話だった。

CPUやメモリ、グラフィックボード。用途を考えながら性能を組み合わせ、自分だけの一台を作る。初代自作パソコンが会社にあるということで見せてもらった。ここ最近の自作パソコンでは必要以上に高性能な構成にすることもあるらしい。「正直、そこまでの性能はいらないんです。でも、作れるっていうのが楽しいんですよ。ロマンなんです。」その言葉を聞いて、少し意外だった。落水正商店の工場長。卵、現場、管理、改善。そんな肩書きから想像する人物像とは少し違ったからだ。けれど取材を進めるうちに、その違和感はすぐになくなった。この人は、ものを作る人ではない。仕組みを組み立てる人なのかもしれない。機械も、人も、組織も。全体を見て、流れを見て、どこが詰まっているかを考える。そういう視点を、昔から自然と持っていた人なのだと思った。

末っ子だったから見えた景色

落水隆正さんは、現社長・落水日朗さんの次男として生まれた。兄・聡一朗さんとは10歳差。姉が二人いて、四人兄弟の末っ子だった。末っ子だから、可愛がられていたと思う。でも、家族と過ごした時間が多かったわけではない。父は経営者だった。朝早く出て、夜遅く帰る。起きたときにはもういない。寝たあとに帰ってくる。運動会に来た記憶も少ない。家族旅行も、みんなで泊まりに行くような経験はほとんどなかった。子どもだった隆正さんにとって、その時間は単純に寂しかった。

寂しさは、積み重なる。

積み重なると、少しだけ怖さになる。話す時間が少ない人は、子どもにとって距離のある存在になる。だから当時の父に対しては、尊敬より先に、怖さや遠さがあったという。

でも、大人になると見える景色が変わった。

会社は楽だったわけじゃない。共働きだった。子どもの頃は分からなかったけれど、経営は苦しい時期もあった。おもちゃは買ってもらえない。贅沢はない。でも、困ることもなかった。ご飯は食べられた。サッカーも習わせてもらった。塾にも行かせてもらった。

「守られてたんだなって、あとから分かりました。」

その言葉が印象に残った。寂しかった記憶を消すわけじゃない。でも、その時間の裏側に、家族を守ろうとしていた姿が見えるようになった。だから今、自分に子どもができたら違う選択をしたいとも話す。行事には行きたい。休みの日は休みたい。兄も自分も家族にそうしてあげれる会社でありたい。寂しかった経験は、誰かを責める記憶ではなく、未来を選ぶ感覚になっていた。

卵屋になりたかった少年は、工学部へ進んだ

小さい頃の夢は、卵屋だった。父の背中を見て育ち、将来は継ぎたいと思っていた時期がある。でも、その気持ちは少しずつ変わっていく。

ゲーム。

パソコン。

電子機器。

気づけば、興味は工学の方へ向かっていた。高校では理系へ進み、熊本大学工学部へ。大学院に進み、システムエンジニアになる未来も見えていた。実際、その道を進もうとしていた。ただ、そのタイミングで父から言われた。戻ってきてほしい。大学院はだめだ。理由はシンプルだった。

会社に必要だから。

そのときの詳しい状況は知らない。でも今思えば、社長として危機感があったのだと思うと話す。もちろん、反発はあった。やりたいこともあった。でも、冷静に考えた。会社が倒れるということは、家族の暮らしが崩れることでもある。その未来を、自分は否定できなかった。そして考えた。

システムエンジニアか。

卵屋か。

どちらかじゃない。両方できないか。卵屋として働いて、システムもやる。得意なことを会社で使えばいい。そう考えた。関東の大型養鶏場で二年間修行し、帰ってきた。

工場長の仕事は、工場を見ることではなかった

戻ってきて分かった。

想像以上に、人が足りない。というより、何を見ればいいのかが分からなかった。関東での修行を終えて戻ってきた工場には、毎日たくさんの作業が動いていた。誰が何をしているのか。今日はどこまで進んでいるのか。次に何をやるべきなのか。

それが、意外なほど見えなかった。

もちろん、現場には経験も流れもある。けれど、初めて入った自分には全体像がつかみにくかった。そこで、まず作ったものがある。工場の中に置く、小さなホワイトボードだった。その日に誰がどの工程を担当するのか。どの作業が終わっていて、何が残っているのか。いわば、その日の作業工程と役割を見える化した一覧表。特別なシステムではない。けれど、そこには隆正さんらしさがよく表れている。

「自分が分からなかったから作った。」

その言葉は、単なる改善ではない気がした。自分が困ったことを、“自分だけが理解する”で終わらせず、誰でも分かる形に置き換える。経験や勘の中にあるもの(笑いながらカンピューターとも隆正さんは言う)を、共有できる仕組みに変える。後から入ってくる人も迷わないように。その発想は、今話しているデータや予測、システム化の話ともつながっている気がした。そして、そのホワイトボードはいつの間にか、自分のためだけのものではなくなっていた。

誰が今どこにいるか。
どこが忙しいか。
誰が手伝えるか。

周りを見るための、小さな地図になっていた。

そして、その「見える化」は、机の上だけの話ではない。工場長という肩書きから、現場管理や人の配置を想像するかもしれない。けれど、実際の隆正さんの仕事はもう少し広い。機械の整備や修理も、そのひとつだ。工場では設備が止まることが、生産そのものが止まることにつながる。だからこそ、異常が起きたときには現場へ向かい、自分で原因を探り、直す。大学で機械修理を専門に学んだわけではない。それでも、工学部で身についた考え方と、昔から好きだった機械への興味が今につながっている。「この症状だったら、ここが原因かもしれない。」ひとつずつ可能性を消していく。パソコンを組み立てるときと少し似ている。どこに負荷がかかっているのか。どこが止まっているのか。何を替えれば全体が動くのか。機械に向き合うときも、人や組織に向き合うときも、考え方は変わらない。だから現場では、工場長でありながら、時には整備士のように機械を触り、時には設計者のように全体を見る。そうやって少しずつ、「誰かが知っている会社」から、「仕組みで動く会社」へ変えようとしている。

支える側ではなく、育てる側へ

取材の最後、印象に残る話があった。「自分の仕事だけじゃダメなんですよ。」忙しい人がいたら助ける。周りを見る。詰まっているところを流す。そうすると、全体が楽になる。工場の話だった。でも、会社も同じなんだと思った。誰かが全部背負う会社ではなく。周りを見る人が増える会社。二役、三役できる人が増える会社。専門家を増やすというより、全体が見える人を増やしたい。そんな話だった。その話を聞きながら、少しだけ考えた。

取材前は、勝手に想像していた。

聡一朗さんが継ぎ、
隆正さんが支える。

そういう役割なのかもしれないと。

でも違った。

話を聞いて見えてきたのは、右腕という言葉では少し足りない姿だった。

兄が前を見るなら、
自分は流れを整える。

兄が外をつくるなら、
自分は中を強くする。

兄が旗を立てるなら、
自分は走り続けられる土台をつくる。

役割は違う。

でも、同じ未来を見ている。

工場長という肩書きは、きっと通過点なのだと思う。取材の中で何度も出てきた言葉がある。

「ロマンなんですよ。」

最初は、自作パソコンの話だった。必要以上の性能を積むこと。組み上げること。動く瞬間を見ること。そんな少年っぽい話に聞こえた。けれど、話を聞き終える頃には、少し違って聞こえていた。役割を見えるようにするホワイトボードを作ること。機械を直すこと。人の動きを整えること。データをつなぎ、未来を予測すること。今まで会社になかった仕組みをつくること。誰かがいないと回らない会社ではなく、次の世代にも渡していける会社へ変えていくこと。そうやって、まだここにないものを少しずつ形にしていく。

もしかすると、それもまた――

落水隆正さんにとっての、ロマンなのかもしれない。