「愛情だけでは、育たない」菅正道(かん まさみち)さんが向き合う、答えのない仕事

ジャンル

記事クレジット

取材・写真

取材・写真・文

落水正商店の農場で、約10万羽の鶏と向き合っている菅正道さん。

鶏の体調や体重、餌や水の量、鶏舎の温度や湿度。毎日の小さな変化を確かめながら、卵を産むための環境を整えている。

「特別なことをしているわけではないですよ」

菅さんはそう言う。しかし話を聞いていくと、その「特別ではないこと」を毎日続ける難しさが見えてきた。

鶏は言葉を話さない。同じ日に生まれ、同じ場所で、同じ餌を食べていても、同じようには育たない。昨日うまくいった方法が、今日も正解だとは限らない。

答えのない仕事の中で菅さんが大切にしているのは、鶏を「かわいがる」ことではなく、常にその状態を心配し、確かめ続けることだった。

養鶏は、特別な仕事ではなく「当たり前」だった

菅さんは、島原の有明町で生まれ育った。実家も養鶏を営んでおり、物心がついた頃には、すでに鶏がいる暮らしの中にいたという。

子どもの頃にしていたのは、鶏が産んだ卵を手で集める作業。当時は現在ほど自動化が進んでおらず、鶏舎の手前に転がってきた卵を、一つずつ拾い集めていた。

鶏が好きだったのですか?と尋ねると、菅さんは少し考えてから答えた。

「好きというより、当たり前だったって感じですかね。物心ついたときからいましたから」

動物が好きだから始めたわけでも、養鶏を自分の天職だと思っていたわけでもない。鶏がいることも、卵を集めることも、自分たちより先に生き物の世話をすることも、暮らしの一部だった。

養鶏の仕事は積極的に選び取ったというよりも、自分にできることを考えた先に、この仕事があった。それから菅さんは、落水正商店で鶏の飼育に携わり、現在まで現場に立ち続けている。

10万羽を、一羽ずつではなく「全体」で見る

農場には、約10万羽の鶏がいるそう。鶏は生後120日前後で農場に入り、そこで卵を産みながら過ごす。

一羽の鶏が産む卵は、基本的に一日一個。10万羽いれば、10万個の卵が生まれると思うがそうではない。鶏の年齢や体調によって産まない鶏もいるため、現在の平均では一日におよそ9万個ほどになるという。

それだけの数を、一羽ずつ細かく観察することはできない。

だから菅さんは、鶏舎全体の様子を見る。餌がどれくらい減っているか、水はきちんと出ているか、体重はどのように変化しているか。鶏の動きや餌箱の状態から、小さな違和感を探していく。

「同じ形をしていても、全く一緒じゃないんですよね。食べる量も違いますし」

若い鶏は、卵を長く安定して産めるように、体重を管理する必要がある。そのために重要になるのが、餌の量だ。

しかし、「何グラムの餌を与えれば、何グラム体重が増える」という決まった答えはない。同じ量の餌を与えても、大きくなる鶏もいれば、それほど体重が増えない鶏もいる。気温や湿度、季節によっても食べる量は変わる。

体重を測る場合も、1万5千羽すべてを測るわけではない。一部の鶏を測り、その平均から全体の状態を考える。

平均が同じでも、一羽一羽の状態は違う。

「なんでこっちの鶏は体重が増えて、こっちは増えていないんですかと聞かれても、答えようがないんですよ。同じ餌をやっていても違うから」

菅さんの仕事は、正解を当てることではない。目の前にある状態を確かめ、仮説を立て、餌の量を調整し、その結果をまた確かめる。その繰り返しである。

かわいがることと、大事にすることは違う

新しく農場に入った人に仕事を教えるとき、菅さんが感じている難しさがある。

それは、言葉で説明できることに限界があるということだ。

餌を何グラム出すか。機械のつまみをどのくらい動かすか。その時点での目安は伝えられる。しかし、翌日には気温も鶏の状態も変わっている。昨日と同じ量を与えればいいとは限らない。

「このくらいにしてくださいと教えても、次の日にはもう変わるんです。だから、本人に考えてほしいんですよね。この量では足りなかったから、次は少し増やしてみようかな、とか」

菅さんが身につけてほしいのは、決められた作業を繰り返すことではない。

自分で餌箱を見て、量を調整し、その結果を確認すること。機械が動いているから大丈夫だと思わず、本当に餌や水が出ているかを自分の目で確かめることだ。

鶏や動物が好きな人であれば、この仕事に向いているとは限らないとも菅さんは言う。

「愛情をかけて可愛がることと、大事にすることは違うんですよね。かわいがって卵を産むなら、みんな産ませきると思うんです」

鶏を撫でることや、餌をたくさん与えることだけが愛情ではない。食べ過ぎて体重が増えすぎれば、その後の産卵に影響する可能性がある。かわいそうに思えても、適切な量に制限しなければならないこともある。

菅さんにとって鶏を大事にするとは、必要なことを見極め、毎日欠かさず確認することだ。

「常に心配しとってよ、って言っているんです。餌が出ていないかもしれない。機械だって100パーセント動くとは限らないから」

その言葉には、長く命と向き合ってきた人の現実的な愛情がにじんでいる。

答えを教えるのではなく、考えられる人を育てたい

菅さんは現在、鶏の管理だけでなく、新しく入った人に仕事を教える役割も担っている。

教えることが楽しいかと聞くと、「楽しいときもありますけど」と前置きしながら、正直な思いを話してくれた。

「どうやったら分かってくれるんだろうと考えます。同じことでも、この言い方で分からないなら、違う言い方をしてみたり。でも、そこすら分からなくなってきたんですよね」

答えのある仕事なら、手順を示せばいい。しかし養鶏の現場では、同じことがそのまま再現されるとは限らない。

菅さん自身も、長年の経験から感覚的に判断していることが多い。その感覚を言葉にしようとすると、説明できないことに気づく。

だからといって、自分が代わりに餌の量を調整してしまえば、作業は一時的にうまく進む。しかし、それでは担当者が一人で判断できるようにはならない。

「してやるのは簡単なんです。でも毎日調整しないといけないことを、ずっとしてやっても意味がないんですよね」

菅さんが求めているのは、最初から何でもできる経験者ではない。

鶏のことを心配できる人。言われたことだけで終わらず、結果を見て、次にどうするかを考えられる人。そして、自分が預かっている命に責任を持てる人だ。

農場には、日本語をほとんど話せない海外出身の社員もいる。その人は、菅さんたちの動きを見ながら仕事を覚え、現在では餌の管理や簡単な修理にも対応しているという。

言葉が十分に通じなくても、自分で見て、触り、結果を確かめることで感覚を身につけていく人もいる。

「なんとなくでも、自分で分かっているんでしょうね。楽しそうにしていますもん」

大切なのは、説明を理解できることだけではない。目の前の変化に関心を持ち、自分で確かめようとする姿勢なのかもしれない。

菅さんは、インタビューの中で何度も「答えがないから難しい」と口にした。

鶏は一羽一羽違う。同じ餌を与えても、同じようには育たない。だからこそ毎日確認し、考え続ける。その積み重ねの中でしか、本当の意味での「感覚」は身についていかない。

それは、人を育てることにもどこか似ている。

新しく入った人がすぐに理解できないこともある。思うように伝わらない日もある。それでも相手を見て、言葉を変え、少しずつ任せながら待つ。その積み重ねが、やがて自ら考え、判断できる人を育てていく。

菅さんは、こんな言葉も話していた。

「してやるのは簡単なんです。でも毎日調整しないといけないことを、ずっとしてやっても意味がないんですよね。」

一見すると餌の管理についての話のようだが、その言葉の奥には、人を育てる本質があるように感じた。

目の前の仕事を代わりにこなすことはできる。しかし、それでは本人は育たない。本当に必要なのは、自分で考え、迷い、確認しながら、少しずつ経験を積み重ねていくこと。その過程を信じて見守ることなのだ。

答えを教えるのではなく、考えられる人を育てること。

それは鶏を育てる以上に時間がかかり、ときには思うように伝わらず、もどかしさを感じることもある。それでも、相手を信じて任せる勇気を持ち続けることが、人を育てるという仕事なのかもしれない。

もし将来、菅さんが一つの農場だけではなく、千綿や大村をはじめとする複数の農場を支える立場になったとしても、その役割の本質は変わらないだろう。

自分がすべてを管理することではない。自分がいなくても現場が回ること。一人ひとりが命と向き合い、自ら考え、判断し、次の世代へ技術を受け継いでいくこと。

鶏を育てる仕事も、人を育てる仕事も、すぐに結果は出ない。

だからこそ、今日の一つひとつの確認が、未来を支える大きな力になっていく。

今日の確認が、ずっと先の一個につながっている

鶏の状態を丁寧に管理したからといって、翌日に必ず卵の数が増えるわけではない。

雷が激しく鳴った翌日には、餌や水に異常がなくても、産卵数が減ることがある。同じ体重、同じ環境に見えても、100羽中99個の卵を産むときもあれば、95個のときもある。

理由を考えても、答えが見つからないことは多い。

「今日完璧にしたから、明日完璧に産むかといったら、そうではないんです。毎日の積み重ねが、ずっと先につながってくるんですよ」

目の前の数字だけを追いかけるのではなく、餌と水を確認し、体重を管理し、鶏が過ごす環境を整える。

成果がすぐに見えないからこそ、今日やるべきことを疎かにしない。

それは、菅さんが養鶏の仕事を通して身につけてきた姿勢であり、人を育てるうえでも大切にしている考え方なのだろう。

自身が育てた鶏から生まれた太陽卵を食べることについて尋ねると、菅さんは「もう当たり前になっていますね」と笑った。

他社の卵と食べ比べることもなく、家で食べるのはずっと太陽卵。美味しいことさえ、菅さんの日常の一部になっている。

養鶏も、太陽卵も、菅さんにとっては幼い頃から続く「当たり前」の延長線上にある。

けれど、その当たり前は、何もしなくても続いていくものではない。

餌は出ているか。水は飲めているか。いつもと違う様子はないか。

答えのない問いを抱えながら、今日も一つずつ確認する。その静かな積み重ねが、私たちの食卓に並ぶ一個の卵を支えている。

「特別なことはしていない」と話す菅さんの仕事には、命を預かる責任と、当たり前のことを当たり前に続ける強さがある。

そして、その姿勢を次の人へどう手渡すか。迷い、悩み、言葉を探しながら教え続ける姿にもまた、菅さんらしい誠実さが表れている。

その他の記事はこちらからご覧になれます。

株式会社 落水正商店