
山が鳴いた朝
夜明け前の静かな時間、石倉の山が鳴いた。
長崎県の北部、入り組んだ海岸線が続く沿岸部に位置する松浦市今福町。海と山がすぐそばにあるこのまちの一角、石倉の山で起きた出来事だった。

「バキバキバキ」と木や竹の根が引き裂かれる音が、静かな山の中に響き渡る。平成2年6月、降り続いた雨のあとだった。当時、市役所の防災担当として現場に向かっていたのは、副島茂さんだ。(現今福地域まちづくり運営協議会 会長)その異様な気配を忘れていない。

「山が鳴く、という状態でした」実は、その兆候はすでに現れていた。山の頂上に走る亀裂は、最初はわずか数センチ。しかし日を追うごとに広がり、やがて30センチ、40センチと深く、広くなっていく。亀裂に石を落としても音が返らないほど、内部は空洞のようになっていた。「1週間以内には、ひょっとしたら…という話は出ていました」農林課、消防、警察と連携しながら、昼夜を問わず監視体制をしく。職員たちは交代で山に入り、静まり返った夜の中で、ただ異変を待つしかなかった。そして、その朝。観測機器の異常を知らせる連絡が入る。副島さんが現地に駆けつけたとき、すでに山は限界に達していた。
崩れた山、残されたもの

山は、大きく崩れた。地滑りを起こしたのだ。上部から土砂が崩れ落ち、ため池の一つは決壊。水とともに流れ出した土砂は、下流へと向かう。もしもう一つのため池まで崩れていれば、ちょうど山のふもとの位置にある福徳地区は危険な状況にさらされていた。しかし、事前の避難と対応により、人的被害は出なかった。「それだけが、本当に良かった」副島さんの言葉には、安堵とともに、あの時の緊張がにじむ。

とはいえ、山の姿は一変した。かつての面影は失われ、むき出しになった斜面だけが残る。その後、復旧工事が行われ、長い年月をかけて森林公園として整備されていく。けれど、その場所は“元に戻った”わけではなかった。記憶は、そこに残り続けていた。
何もなかった場所に、新たな芽吹き

「最初に見たとき、ここをなんとかできんかなと思ったんです」そう語るのは、「いまふくさくらまつり」の発起人、渡口一憲さんだ。
整備されたとはいえ、その場所は草が広がるばかりの空間だった。かつての出来事を知る人にとっては、決して軽い場所ではない。それでも渡口さんは、そこに別の景色を重ねようとした。

「桜を植えたら、どうだろう。春になれば、人が集まり、景色が変わるかもしれない」。地域に提案するも、すぐに賛同が集まるわけではなかった。むしろその実現は決して簡単ではなかった。それでも、渡口さんは一人で動き出した。「桜を植えよう会」そう名付けて、参加者を募る。すると、予想を大きく超える人が集まった。
人の手で、山に根を張る

当初100人ほどを想定していた参加者は、最終的にその倍近くに。約400本の桜が、この地に植えられた。一本一本に、植えた人の手がある。一本一本に、「育てていこう」という意思がある。

選ばれたのは、江戸彼岸桜。山の環境に適し、強く根を張る品種だ。それでも、簡単ではなかった。土は入れ替え、環境を整え、水の流れも考える。植えたあとも、草刈りを繰り返し、何度も手入れを重ねる。なかには枯れてしまう木もあった。それでも、また植え直す。時間をかけて、少しずつ、山は変わっていった。
桜の下に、人が戻る

やがて春になると、その場所に人が集まり始めた。「いまふくさくらまつり」大きなイベントではない。けれど、そこには確かな“空気”がある。子どもたちの発表を見守る大人たち。久しぶりに顔を合わせる地域の人たち。自然と生まれる会話と笑顔。かつて緊張に包まれていた場所が、今は人の温もりに包まれている。

渡口さん、副島さんが口を揃えて言う。「やっぱり、続けんばいかんと思うとですよ」コロナで中止になった年もあった。雨で開催できなかった年もある。それでも、「1年でも止めたら、来る人が減る」。その思いが、この祭りをつないできたのだ。
続けるという、いちばんの仕事

華やかな当日の裏側には、地道ないとなみがある。草刈り、準備、設営。とくに草刈りは、年に何度も必要になる重労働だ。現在69歳の副島さんが「私が一番若いくらいですからね」。そう笑う言葉の裏には、現実がある。関わる人の多くは高齢になり、担い手は確実に減っている中でも、やめるという選択肢はない。誰かが手を止めれば、ここで終わってしまうから。


だからこそ、続ける。その積み重ねの先に、当日の風景がある。春のやわらかな光の中、石倉の山には人が集まり、静かな場所ににぎわいが生まれる。松浦市福島町から参加してくれた力強い太鼓の音が響き、今福こども園の子どもたちの姿に自然と笑みがこぼれる。


小学生たちはソーラン節を披露し、会場には拍手と歓声が広がった。地域の人たちもそれぞれの形で関わり、この場所に集う時間をつくっていく。

会場の一角では、抽選会に子どもも大人も心を弾ませ、あたたかいぜんざいがふるまわれる。そのぜんざいは、地元のお母さんたちが数日前から小豆を炊き、この日のために準備してきたものだ。誰かが舞台に立つだけではなく、誰かが裏で支え、誰かが手をかける。そうした一つひとつが重なって、ようやく一日がかたちになるのだ。

この祭りは、当たり前に開催されているものではない。続けようとする人の思いと、関わる人たちの手によって、ようやく毎年、ここに立ち上がるものだ。だからこそ、その一日はあたたかく、人の気配がしっかりと残っている。
この山が、未来につながるために

渡口さんたちには、もう一つの願いがある。この祭りが、今福だけのものではなく、松浦市全体へと広がっていくこと。「桜の月間みたいにできたらいいですね」地域ごとに桜の祭りがあり、それを巡る。そんな流れができれば、もっと多くの人が関わるきっかけになる。人が集まれば、また新しい力が生まれる。それが、この場所を次へとつないでいくのではないだろうか。
記憶の上に、花は咲く

かつて、山が崩れた場所。不安と緊張に包まれたその場所に、今、桜が咲いている。それは自然の回復ではなく、人が時間をかけてつくってきた風景だ。一本の木に、一人の記憶がある。一つの祭りに、多くの想いが重なっている。

山は、もう一度、人が集まる場所になった。そして7回目の開催となった今年も(2026/3)、桜の下で、誰かの声がやさしく響いている。
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