
椛島さんが育ててきた園と、人のこと。「これでいい、と思ったことは一度もないんです」そう話す椛島洋子(かばしまようこ)さんは、穏やかな笑顔の奥に、芯の強さと行動力を感じさせる人です。その言葉の奥には、保育と真正面から向き合い続けてきた人だけが持つ強さがあります。
子どもたちのために。職員のために。保護者が安心して預けられる場所をつくるために。
椛島さんが積み重ねてきた園づくりは、実は“園そのもの”ではなく、“人を育てること”から始まっていました。
愛情の中で育った幼少期。教育熱心な祖父の背中

椛島さんは長崎県松浦市の山あいの集落で生まれ育ちました。兄二人に囲まれた末っ子。祖父母、両親、家族みんなに可愛がられ、愛情をたくさん受けて育ったと言います。祖父は教育熱心な人でした。
PTA活動にも積極的で、学ぶことや人を育てることを大切にする姿勢を持っていました。祖母は反対に、とても穏やかで、人に尽くし、人から愛される人だったそうです。厳しさと優しさ。その両方を自然に受け取って育ったことが、今の椛島さんの原点なのかもしれません。幼い頃の椛島さんは、明るく元気な子どもでした。山で遊び、人と関わりながら過ごす日々。勉強も好きで、自分で計画を立てて取り組む真面目な子だったと振り返ります。ただ、その頃までは大きな苦労を知りませんでした。
挫折と学び。人の痛みを知った時間

転機は短大進学でした。本当は学校の先生になりたかった。けれど進学の選択肢は限られていました。
それでも「先生になりたい」。その想いで選んだのが幼稚園教諭という道でした。それまでの椛島さんの人生は、大きな挫折を知らずに歩んできた時間でもありました。家族に愛され、守られ、勉強も好きで、自分なりに努力を積み重ねれば前へ進める。そんな感覚の中で育ってきたと言います。けれど、その道の途中で初めて思い通りにならない現実に出会います。
第一志望に届かなかった経験です。努力しても結果に結びつかないこと。自分ではどうにもできない環境や選択肢があること。
これまで信じていた「頑張れば届く」という感覚だけでは超えられない壁でした。でも、その経験が後になって大きな意味を持つことになります。

人は苦しい時、痛い時、不安な時、理屈だけでは前に進めません。正しさや努力だけではどうにもならない瞬間があります。誰かの一言に救われたり、ただ隣にいてくれる存在に支えられたりしながら、少しずつ前を向いていくものです。
短大を出て社会に出て、人と出会い、働き、さまざまな人生に触れる中で、椛島さんは少しずつ人の痛みを知っていきました。
椛島さんはあとから振り返って言います。「あの頃までは苦労知らずでした。」
その言葉には、自分を否定する響きはありません。むしろ、色々な経験を経たからこそ見える景色があるという実感に近いのかもしれません。
困っている人に気づくこと。言葉にならない不安を想像すること。相手の背景まで含めて受け止めようとすること。
そうした力は、知識や技術だけでは育たない。

遠回りに見えた経験や、うまくいかなかった時間、人知れず抱えた葛藤の中から少しずつ育っていったものだったのかもしれません。
そしてその感覚は、後に子どもだけでなく、保護者や職員と向き合う椛島さんの保育観の土台になっていきます。
保育との出会い。そして私立園長という選択

幼稚園教諭として働き始めた椛島さんは、保育の現場で猛烈に働きました。新人時代から大人数のクラスを任され、失敗も悔しさもたくさん経験したと言います。でも、その中で見えたものがありました。子どもに関わる職員さんの愛情の大きさや、職員さん自身が保育を楽しむことが大切だと感じました。そこが育たなければ、子どもたちの環境は良くならない。だからこそ、自分で園をつくりたい。理想を形にしたい。そう考え、私立園長という道を選びました。決して権限が欲しかったわけではありません。子どもが主役で楽しく沢山の体験や経験ができる園を作りたい、成長ができる素敵な園を作りたい。そして保護者が安心できる場所をつくりたかった。そのために責任を取れる立場に立つ必要がありました。
園づくりはまず、組織づくりから

椛島さんが園づくりで最も大切にしたのは、実は子どもより先に職員さんでした。「職員は宝です。」
その言葉を何度も口にします。園は椛島さんそのもの。先生の笑顔、挨拶、空気感、言葉遣い、その全部が子どもに伝わる。
だから、園を始めた当初は職員教育に徹底的に向き合いました。マナー、保護者対応、挨拶、言葉、大切な一人一人の子どもの命を守る意識。
職員さん全員がプロの専門職としての意識をもつための研修を徹底して行ないました。
だからこそ、その頃は必死でした。大切な命を預かる場所だから。保護者が安心して預けられる場所をつくりたかったから。
園内にゴミ一つ落ちていない環境づくりも同じ考えです。環境は人を表す。小さな乱れは、大きな事故につながる。だから整える。命を守るために。
園長としての覚悟

椛島さんは穏やかに話します。でも、その人生は決して平坦ではありませんでした。園を変えようとした時、色々な反発もありました。
批判や誤解、何度も心が折れそうになったと言います。それでも職員さんの前では、不安な顔を見せませんでした。
「園長だから。」
みんなが自慢できる園長でありたい。尊敬される人でありたい。
苦しい時ほど背筋を伸ばして立ち続けました。そして、少しずつ強くなっていきました。人は簡単には強くならない。でも、人の痛みを知った人は、人に優しくなれる。椛島さんの笑顔には、そんな深さがあります。
一人の人として

そんな熱血園長も、家に帰れば別の顔があります。家に帰れば、一人の妻としてご主人と穏やかな時間を過ごします。人生の中ではさまざまな出来事や困難も経験してきましたが、そうした時間を通して、人はそれぞれに事情を抱えながら生きていること、見えている姿だけではわからない苦労や悩みがあることを実感してきました。だからこそ椛島さんは、職員や保護者と向き合う時も、その人の背景に目を向けようとします。
「職員は宝です。」
その言葉の背景には、仕事だけではなく、一人ひとりの人生も大切にしたいという想いがあります。
園長として。保育者として。そして、一人の人として。相手の立場に立ち、その人の想いに寄り添うこと。それもまた、椛島さんが長年大切にしてきた保育の一つなのかもしれません。
これからも、“これでいい”とは思わない、常に前向きで

これまでの歩みの中で椛島さんは、自らも学び続けてきました。接遇研修を重ね、保育カウンセラーや保育活動員の資格を取得。より良い保育とは何か、保護者や子どもたちにとって本当に必要な関わりとは何かを考え続けてきました。そして園長就任から10年後に、長崎県保育協会からの推薦を受け、全国保育協会より保育功労賞を受賞します。長年の取り組みが評価された賞でしたが、椛島さんはその賞を自分一人のものとは考えていませんでした。
「これは私の賞ではありません。一緒により良い保育を頑張ってくれた現場の職員みなさんのおかげで取れた賞です。」
そう話す姿にも、椛島さんらしさが表れています。園づくりは、一人ではできません。
子どもたちのために力を尽くす職員さんがいて、その姿を信じて応援する保護者がいて、地域がある。
毎朝の朝礼では、職員さんたちとこんな言葉を交わします。
「今日も笑顔で、感謝を忘れず、前向きに。」
「保育を楽しみましょう。」
「子どもを愛しましょう。」
その言葉の一つひとつには、椛島さんがこれまで積み重ねてきた園づくりの想いが込められています。

子どもたちが安心して過ごせること。保護者が安心して預けられること。職員が誇りを持って働けること。
そして、誰もが笑顔になれる場所であること。
「これでいい」と立ち止まることなく、より良い保育を目指し続ける。その姿勢こそが、今福こども園を支えてきた椛島洋子さんというひとの原点なのかもしれません。
その他の記事は下記からご覧になれます。
松浦市移住サイトは下記からご覧になれます
