「調川に育ててもらったから」。調フェス実行委員会がつくる、調川がひとつになる日。

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小学生が走る。中学生も走る。そのあとには、地域の大人たちがグラウンドに出ていく。

さっきまで声援を受けながら競技をしていた子どもたちが、今度は誰かを応援する側になり、学校の運動会でありながら、町民運動会でもある。子どもたちのための一日は、大人たちにとっても楽しみな一日となった。

長崎県松浦市・調川町には、そんな一日がある。

その名前は〈調フェス(つきフェス)〉。

松浦市立調川中学校の体育大会と町民運動会を合同で開催するところから始まり、第3回目となった2026年には松浦市立調川小学校の運動会も加わった。小学生から中学生、地域の大人たち、おじいちゃんやおばあちゃんまで、調川町で暮らすさまざまな世代が同じ場所に集まる、町ぐるみのスポーツイベントだ。

最初から〈調フェス〉という名前や形があったわけではない。

始まりにあったのは、「もっと盛り上げたいよね」という、何気ない立ち話だった。

そこから話は少しずつ具体的になり、最初の開催にたどり着くまでには2〜3年の月日を要した。

子どもたちが、もっと応援できるように

〈調フェス〉が生まれる背景には、調川町の子どもたちを取り巻く変化があった。

小学校の運動会では、子どもたちの数が少なくなるにつれて、一人ひとりが担う係の仕事や出場する種目が増えていた。競技に出て、係の仕事をして、また次の競技に出る。やることが多くなれば、その分、友達の競技を見たり、声を出して応援したりする時間は少なくなっていく。

せっかくの運動会なのに、子どもたちが友達を応援する時間があまりない。

そこで、「地域の人たちが参加する競技を途中に入れて、その時間を子どもたちの休憩や応援の時間にできないか」という考えが出てきた。

子どもたちが競技や係の仕事から少し離れている間、地域の人たちがグラウンドに出る。子どもたちは友達を応援することができ、大人たちも競技を通して子どもたちと同じ時間を過ごせる。

そして、子どもたちの数が減るということは、保護者の数も減っていくということでもある。

保護者が減れば、グラウンドから聞こえてくる応援の声も少なくなる。

だったら、地域の人たちにも一緒に参加してもらえばいい。

大人たちが競技をすることで、子どもたちに向けられる声も増えていく。

「もっと盛り上げたいよね」という言葉の背景には、そんな思いがあった。

学校だけで完結する運動会ではなく、地域の人たちも一緒になって、子どもたちの一日をつくる。

その考えが少しずつ形になり、2024年、調川中学校の体育大会と町民運動会を合同で開催する〈調フェス〉が始まった。

まずは、やってみる

新しい形をつくるまでには、さまざまな意見があった。

これまで続いてきたものを変えることには、心配もある。けれど、そこで実行委員会が大切にしたのは、最初から完璧なものをつくることではなかった。

「まずはやってみて、やってみて出た反省点を解決して、次に活かす」。

やってみなければ分からないことがあり、一度やってみれば、次に改善できることも見えてくる。

第1回のときに一番大変だったことを聞くと、実行委員会から返ってくるのは、「まずは無事に終えること」だったという。

準備をして、当日を迎え、最後まで終える。

初めてのことだからこそ、それだけでも大きな仕事だった。

そして、終わったからこそ、「ここはもう少しこうしたほうがよかった」という反省も出てくる。それを次に生かしながら、第2回、第3回と続けてきた。

2026年の第3回では、調川中学校と町民運動会に加えて、調川小学校の運動会も合同で開催することになった。

小学校、中学校、地域。

これまで別々だったものが一つになり、調川町のさまざまな世代が同じ場所に集まる日になった。

実行委員会だけではできない

〈調フェス〉を運営しているのは、地域の人たち約10人を中心とした〈調フェス実行委員会〉だ。

PTAや高校生たちもサポートに入り、年齢もさまざま。地域で長く暮らしている人もいれば、20歳くらいの若い世代もいる。

高校生のなかには、〈調フェス〉に取り組む親の姿を見ながら、「自分もそうなりたい」と思い、今度は自分が関わる側になっている人もいるという。

子どものころに見ていた大人たちの姿を、今度は自分が引き継いでいく。

そんなふうに、関わる人が少しずつ入れ替わりながら、〈調フェス〉は続いている。

一方で、実行委員会は「実行委員会の力だけではできない」とも話す。

準備には、当日の競技や進行のように目に見えるものだけではなく、会場の草刈りなど、表からは見えにくい仕事もある。

予定していた人ができなくなれば、別の誰かがやる。

一人では難しいことがあれば、誰かが手を貸す。

それぞれができることを持ち寄りながら、少しずつ準備が進んでいく。

実行委員会だけですべてを抱えるのではなく、地域のなかにいる人たちが、それぞれの場所から関わっている。

当日、グラウンドに立っている人たちの姿だけでは見えないところにも、〈調フェス〉を支えている人がいる。

調川がひとつになる日

2026年の第3回は、調川小学校の運動会が加わったことで、〈調フェス〉にとっても新しい回になった。

小学生が走り、中学生が走り、地域の大人たちも競技に参加する。

子どもたちは大人たちの競技を応援し、大人たちは子どもたちの走る姿に声をかける。

学校の運動会と町民運動会という、それぞれの行事が一つの場所に集まることで、競技をする人と応援する人の関係も、その都度入れ替わっていく。

第3回の開催を記念して、主催する〈調川地域まちづくり運営協議会(調創会)〉ではオリジナルタオルをつくり、来場者に配布した。

子どもから大人まで、幅広い世代が持てるように考えられたタオルで、会場では同じタオルを手にした人たちの姿も見られた。

競技に出る人だけが、この一日をつくっているわけではない。

準備をする人がいて、応援する人がいて、誰かの代わりに動く人がいて、その場にいる人それぞれが、自分のできる形で一日をつくっている。

実行委員会が話す「調川が一つになる日」という言葉は、イベントを説明するためだけのものではなく、こうした一日の過ごし方を表しているのかもしれない。

「このまちに育ててもらったから」

仕事や家庭があるなかで、時間をつくって〈調フェス〉の準備を続ける。

どうしてそこまでして続けるのか。

その理由を聞くと、返ってくるのは、とてもシンプルな言葉だった。

「調川に育ててもらったから」。

子どものころから過ごしてきた町。

地域の人たちに見守られながら育ってきた町。

その町に、今度は自分たちが何かを返したい。

少しでも調川を盛り上げたい。

人が集まって、楽しめる時間をつくりたい。

〈調フェス〉を始めるために集まった人たちは、最初から大きな計画を持っていたわけではない。

「もっと盛り上げたいよね」という立ち話から始まり、数年かけて話を重ね、まずはやってみて、そこで出た反省点を次につなげてきた。

誰かができないときには別の誰かが動き、子どもたちが走れば、地域のみんなで応援する。

そうした一つひとつのことが重なって、〈調フェス〉という一日ができている。

いつか、つきの島公園で

実行委員会には、いつか実現したい景色がある。

「つきの島公園」で、〈調フェス〉を開催することだ。

海のそばにあるつきの島公園で、運動会をして、食べ物の出店が並び、音楽ライブが始まる。

子どもも大人も集まって、スポーツをする人も、食べる人も、音楽を聴く人も、それぞれの楽しみ方で一日を過ごす。

そんなフェスを、いつかやってみたいという。

調創会では、これまでも〈ふれあい歌まつり〉を開催している。

歌う人がいて、聴く人がいて、そこに人が集まる。

スポーツだけではなく、音楽や食を通じても人が集まる場所をつくることは、〈調フェス〉が思い描いている景色ともつながっている。

「もっと盛り上げたいよね」。

始まりは、そんな何気ない立ち話だった。

そこから2〜3年をかけて形になり、3回目には小学校も加わった。

調川のさまざまな世代が一つのグラウンドに集まり、走る人がいて、応援する人がいて、その日のために準備する人がいる。

その一日をつくっているのは、実行委員会だけではない。

調川に育ててもらった人たちがいて、その姿を見て育つ次の世代がいて、できることを持ち寄りながら関わる人たちがいる。

そんな人たちがつくる次の一日は、どんな景色になるのだろう。

いつか、つきの島公園で。

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