匍匐前進から高層ビルの43階へ勤務。そして、海を渡り松浦市鷹島町へ。

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  • 西吉美智子

    西吉美智子

「じっとしていられないんです」。その好奇心が、人をつなぎ、島の未来を動かしていく。

「松浦市福島町ではなく、福島県の出身なんです(笑)」

そう笑いながら話してくれたのは、長崎県松浦市・鷹島町で株式会社fine(ファイン)をいとなみ、鷹島地域まちづくり運営協議会の事務局としても活動する西吉美智子(にしよしみちこ)さん。

福島県の山あいで育ち、陸上自衛隊、東京のエステティックサロン、歯科クリニックと、まったく異なる世界を歩んできました。

そして現在は、海に囲まれた鷹島で、福祉の仕事をしながら地域の夏祭りを復活させ、まちづくりにも関わっています。

一見すると、つながりのない経歴。しかし、話を聞いていくうちに、そこには幼い頃から変わらない一つの性格が見えてきました。

それは、興味を持ったら、まず動いてみること。

その行動力は、どこから生まれてきたのでしょうか。

山の中を駆け回った少女時代

1978年、福島県生まれ。幼少期を過ごしたのは、隣の家まで500メートルほど離れているような山あいの集落でした。

学校までは片道3キロ。毎日歩いて通い、放課後は山菜やタケノコ、キノコを採りに山へ出かける。自然の中で遊ぶことが日常でした。

兄と弟にはさまれた三人兄弟の一人娘。男の子たちと遊んでも負けないほど活発で、足の速さを生かして陸上競技にも打ち込みました。

高校では寮生活を送りながら、400メートル、800メートルを中心に競技を続けます。卒業後の進路を考えたとき、大学進学よりも、自分の体力を生かせる仕事を選びたいと思ったそうです。そこで選んだのが陸上自衛隊でした。

匍匐前進から、43階建てのビルへ

高校卒業後、東京・朝霞の陸上自衛隊へ入隊。

通信部隊に所属し、モールス信号を学ぶ一方、山中での訓練や匍匐前進(ほふくぜんしん)など、厳しい基礎訓練にも取り組みました。

「匍匐前進って、5種類あるんですよ」

敵に近づくほど姿勢を低くして進む。何度も地面を這い、腕には今もその頃の傷が残っているそうです。

それでも本人は「楽しかったですよ」と笑います。

約4年半の自衛隊生活。しかし、次第に階級社会の中だけではなく、外の世界で自分の力を試してみたいと思うようになりました。

そして転職先に選んだのが、なんとエステティック業界。「自衛隊で顔に塗っていたドーランで荒れた肌を、きれいにしたい」という思いも、興味を持ったきっかけの一つだったそうです。

そうして東京ビューティセンター(TBC)へ入社します。

ついこの間まで迷彩服で地面を這っていた女性が、今度は東京の43階建てのビルで、ハイヒールを履いて働くことに。

まるで別人のような転身ですが、本人にとっては、どちらも興味を持って飛び込んだ世界でした。

その後、東京で出会った現在のご主人と結婚。出産や子育てをしながら、約13年間、歯科助手として働きました。

そして、ここにも不思議な縁があります。

勤務先の名前はなんと「たかしま歯科クリニック」。

当時はまだ、自分が将来、海を渡って鷹島で暮らすことになるとは思っていなかったかもしれません。

初めて訪れた島で感じた、暮らしの豊かさ

ご主人の故郷である鷹島を初めて訪れたのは、結婚前のこと。

まだ鷹島肥前大橋が開通しておらず、車をフェリーに乗せて島へ渡る時代でした。

「こんなに素敵な島があるんだって、びっくりしました」

透明な海、豊かな自然、そして初めて訪れた自分を家族のように迎えてくれる人たち。

何より、ご主人の両親や親戚の温かさに触れ、「この家族となら結婚したい」と思ったそうです。

結婚後も東京で暮らしながら、帰省するたびに島への思いは深まっていきました。

「ここだったら、何か楽しいことができそう」

漁師をしていた義父の仕事を生かせないか。民宿はどうだろうか。そんな構想を夫婦で話し合っていたといいます。

当初は40歳を過ぎた頃に帰郷しようと考えていましたが、福島県の父親の闘病もあり、帰郷を延期。父親を看取った翌年、2020年、42歳のときに家族で鷹島へ移住しました。

ちょうど新型コロナウイルスの感染拡大が始まる時期でした。

新聞配達から始まった、島の人とのつながり

移住後、夫婦で準備を進めたのが就労継続支援B型事業所「すまいる」の開設でした。

地域に必要な福祉サービスを届けたい。その思いから新しい分野に挑戦することを決めました。

開業準備中、ご主人は後継者を探していた島の新聞販売店の仕事を引き受けます。

西吉さんも新聞配達や集金を手伝うようになりました。

「新聞配達のおかげで、島の端から端まで行けたんですよ」

集金先で交わす何気ない会話。地域のお年寄りが抱える寂しさや、暮らしの中の小さな困りごと。

その一つひとつが、島を知るきっかけになりました。2021年2月に開設した事業所は、当初の3年間、利用者が少なく厳しい状態が続きました。それでも諦めず、現在は事業を継続できるようになっています。

さらに、日中の支援だけでは応えられない生活の課題を感じ、グループホームの開設にも取り組んでいます。

「多分、人が大好きなんですよ。人に興味があるんです」

相手の話を聞き、その人に何が必要なのかを考える。自衛隊、エステティック、歯科助手、そして福祉。これまで異なる業種でさまざまな経験を重ねてきましたが、人と向き合うという意味では、ずっと同じことを大切にしてきたのかもしれません。

15年ぶりの夏祭り。始まりは7人の仲間から

福祉の仕事を続ける一方で、島の暮らしに少しずつ寂しさを感じるようになりました。かつてあった夏祭りがなくなり、子どもたちが楽しみにできる行事も減っていました。東京で子育てをしていた頃、家族や友人といくつもの夏祭りを巡った思い出があります。

「島の子どもたちにも、あの楽しさを経験してほしい」その思いから、15年ぶりとなる夏祭りの復活に動き出しました。

まずは身近な人に声をかけ、漁協や地域の人たちとのつながりを持つ仲間を集めました。集まったのは7人。

それぞれの得意なことを持ち寄り、実行委員会を立ち上げます。

地域のお年寄りが楽しみにしていたカラオケ大会を中心に、子どもたちが楽しめる食べ物などを用意。

初開催には、天候が優れない中でも約300人が訪れました。

翌年には、昼と夕暮れの2部構成でシャボン玉ショーも実施。夕日に照らされた無数のシャボン玉が空を舞い、子どもたちだけでなく、大人たちの心も動かしました。

祭りの振り返りでは、仲間への感謝があふれ、思わず大泣きしてしまったそうです。

「本当に、みんなありがとうって。大人になって、あんなに泣いたのは久しぶりでした」

一人の「やってみたい」が、仲間の「一緒にやろう」に変わった瞬間でした。

夏祭りから、まちづくり運営協議会へ

夏祭りの活動をきっかけに、鷹島地域まちづくり運営協議会の立ち上げにも関わるようになります。

ただ、祭りを続けるためだけの組織ではありません。

「島のお金だから、祭りだけじゃなく、みんなのために使えるようにしたい」

そんな考えから、地域全体のことを話し合える体制づくりを進めました。

地域の事情に詳しい人に会長を依頼し、学校や保育園、福祉、交通、商工業など、それぞれの分野で人望のある人たちに声をかけていきました。現在は18人のメンバーが関わっています。

組織をつくる上で大切にしたのは、肩書きだけではなく、実際に動いてくれる人、周囲の声を聞ける人を集めること。

これまでの新聞配達や福祉の仕事、夏祭りで築いた人間関係が、ここでも生きています。

人口を増やすことだけが、島の未来ではない

鷹島では高齢化と人口減少が進んでいます。しかし、西吉さんは人口を増やすことだけを目標にはしていません。

「残った島の人たちが、どれだけ楽しく暮らせるか。それを考えたいんです」

地域の運動会を学校行事と組み合わせたり、島外から訪れる人が食事や体験を楽しめる仕組みを考えたり。

歴史、食、自然、島の人たちとの交流。それぞれの魅力をつなぎ、訪れる人にも暮らす人にも、新しい楽しみを生み出したいと考えています。「無理だと言われたら、なんで無理なんだろうって思うんです」

納得するまで聞いて、考えて、また動いてみる。

時には失敗し、落ち込むこともある。それでも人のせいにせず、次にどうすればいいかを考える。

幼い頃、山の中を駆け回っていた少女は、今も変わらず好奇心のままに動き続けています。

匍匐前進から高層ビル43階へ。そして、東京から海を渡って鷹島へ。

歩んできた道は決して一直線ではありません。けれど、そのすべての経験が、人を知り、人をつなぎ、島の未来を考える力になっています。

まちづくりは、特別な誰かが始めるものではなく、目の前の誰かに喜んでほしいという小さな思いから始まるのかも。

西吉さんの歩みは、そんなことを教えてくれるようでした。

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