
長崎県松浦市今福町で、おがくず酵素浴「ほかほか」を営む鍋田希(なべた のぞみ)さん。
穏やかな笑顔で話す鍋田さんの言葉からは、自然の中で育った幼少期や、地域の人たちから受け取ったたくさんの愛情、そして家族とともに歩んできた時間が、今も大切に息づいていることが伝わってきました。
一つひとつの経験が積み重なり、今の鍋田さんという人をつくっています。
自然の中で育った、当たり前の日々

今福で生まれ育ち、海や山に囲まれた自然の中で過ごした幼少期。今のようにゲームが身近にある時代ではなかったこともあるが、実は家には「ゲームは買わない」という家庭の方針があった。
だから遊び場は、いつも外だった。友達と山を駆け回り、海へ行き、生き物を探し、夕方まで夢中になって遊ぶ。毎日が楽しくて仕方がなかった。
当時は、それが普通だと思っていた。「ゲームがないからつまらない」ではなく、「外で遊ぶのが当たり前」

そんな毎日だった。今思えば、あの時間が自分の土台をつくってくれたのだと思う。
自然の中では、季節が変われば遊び方も変わる。
春は山菜採りや潮干狩り。夏は海水浴。四季の移り変わりとともに、遊びも自然と変わっていく。自然のリズムの中で過ごすことが、幼い頃の日常だった。
祖母たちが畑へ行く日は、一緒について行くのも楽しみの一つだった。畑では野草や虫の名前を教えてもらい、「これは食べられるよ」「これはこんな虫だよ」と、暮らしの中で自然の知恵を教えてもらった。
採れたてのトマトをその場で丸かじりした時の青い香りは、今でも鮮明に覚えているという。
間引きした野菜は漬物になり、旬の野菜が当たり前のように食卓へ並ぶ。
子どもの頃は何も特別なことだとは思わなかった。
けれど大人になった今、旬の野菜を食べながら自然と季節を知り、食の大切さを学べる環境は、とても豊かなことだったのだと感じている。
誰かに教えられたわけではない。
暮らしそのものが、食育だった。
家族だけではない、たくさんの愛情に育てられた
思い返すと、子どもの頃の記憶には、家族だけではなく地域の人たちの姿がたくさんある。
親戚が集まる機会は本当に多かった。
お盆や正月だけではなく、何かあるたびにみんなが集まり、一緒にご飯を食べ、笑い合っていた。
子どもは子ども同士で遊び、大人は大人で話をする。そんな何気ない時間が当たり前だった。

それだけではない。学校から歩いて帰っていると、地区のおばちゃんが車を止めて「乗っていくね」と声をかけてくれる。「今日は暑かけん。」「荷物重たかろう。」そんな一言と一緒に家まで送ってくれた。
近所のおじちゃん、おばちゃんは家族ではない。それでも本当の家族のように見守ってくれていた。
叱ってくれる人もいれば、褒めてくれる人もいた。地域全体が子どもを育ててくれていたような気がする。
子どもの頃は、それが当たり前だった。だから特別だなんて一度も思わなかった。
「始めたことは最後まで」

幼い頃から水泳、そろばん、習字、バレーボール、剣道、駅伝……。
気づけば毎日のように何かをしていた。決して楽な毎日ではない。朝早くから練習し、学校へ行き、放課後も部活。
辞めたいと思ったことも何度もあった。それでも続けてきた。
理由はシンプルだった。「自分で始めたことだから。」

そして、親も簡単には辞めさせてくれなかった。
「始めたなら最後までやりなさい。」
その言葉は厳しく聞こえたけれど、大人になった今は、その教えに感謝しているそう。
高校ではアーチェリーを始め、全国大会にも出場した。
高校卒業後は大学へ進学し、大学でもアーチェリー部に所属。強化指定部として毎日のように練習に励んだ。

そのかたわら専攻したのは観光分野だった。
日本や世界各国の観光地や交通機関について学び、総合旅行業務取扱管理者の資格も取得した。
「いつかインバウンドや地域おこしにも役立てられるかもしれない。」そんな思いで学ぶ時間は、とても楽しかったという。そして大学卒業後は医療機器メーカーへ就職。心臓カテーテルやペースメーカーの治療で使用する医療機器について、医師や医療スタッフと打ち合わせを行い、施術日までに必要な機器を準備する仕事に携わった。
そして現在のお店づくり。

人生を振り返ると、何度も大変な場面はあった。
それでも途中で投げ出さなかった。
取材をしていて感じたのは、この「やり抜く力」は大人になって身についたものではないということだ。
子どもの頃から積み重ねてきた経験が、そのまま今の芯の強さにつながっている。
お店づくりでぶつかった父との時間
現在の酵素浴のお店をつくるまでにも、多くの苦労があった。
慣れない融資の相談や、書類申請、建物の設計など、初めて経験することばかりだった。
そして何より、一番ぶつかった相手は父だった。

このお店は、自分だけの夢ではない。酵素浴と無農薬野菜を通して、地域の人が根本から健康になってほしい。
耕作放棄地を開拓し、この地域の畑を守り続けたい。そんな両親の長年の願いが込められていた。
娘としては、「そこまで自分を犠牲にして地域のために頑張らなくてもいいのに」と思ったこともあった。
大変な道だと分かっていたからだ。それでも、その正義感や地域への思いを心から尊敬していた。
だからこそ、自分もその夢を支えたい。

両親の願いを一緒に形にしたい。その思いが、今福へ戻る決意につながった。
父とは何度も衝突した。口をきかない時期もあったそう。
それでも逃げなかった。父も、自分も。
少しずつ役割を理解し、お互いを認め合えるようになった。今思えば、その時間も必要だったのだと語る。
大人になって初めて気づいた幸せ
大学へ進学し、日本各地から集まった友人たちと出会った。
海外へ行く機会にも恵まれ、さまざまな文化や価値観に触れた。
松浦を離れたからこそ、自分が育った環境を客観的に見ることができた。
その中で初めて気づいたことがある。

「あれ? 私って、すごく恵まれて育ってきたんだ。」
家族だけではない。親戚。近所のおじちゃん、おばちゃん。
学校の先生。地域の人たち。
そして、四季を感じながら暮らせる自然。
本当にたくさんの人や環境が、自分を育ててくれていた。
それは決して当たり前ではなかった。

子どもの頃は気づかなかった。
でも今ならわかる。
自然に囲まれ、人に囲まれ、愛情に囲まれて育ったこと。
何もない田舎だと思っていた場所には、お金では買えない豊かさがあった。
次は、自分がその景色をつくる番

現在は、神奈川県出身のご主人と二人の子どもとともに今福で暮らしている。
だからこそ、今思うことがある。自分の子どもたちにも、そんな環境で育ってほしい。
ゲームや便利なものを否定したいわけではなく、便利な時代だからこそ、自然に触れ、人と関わり、地域の中で育つ時間を大切にしてほしい。
子どもの頃は分からなくてもいい。
大人になった時に、「あの環境で育ててもらえて幸せだった。」
そう思ってもらえたら、それだけで十分だと思う。
そして、自分自身も、そんな地域をつくる一人でありたい。
困った時には自然と手を差し伸べ、地域のみんなで子どもたちを見守る。
自分が受け取ってきた愛情や助け合いを、今度は次の世代へ返していきたい。

そんな思いを胸に、今日も今福で暮らしている。
取材を終えて感じたのは、鍋田さんの優しさや真っ直ぐさ礼儀正しさは、決して生まれ持った性格だけではないということだった。
自然の中で遊び、地域のみんなに育てられ、「始めたことは最後までやり遂げる」という教えを胸に歩んできた人生。
その積み重ねが、今の仕事への責任感にも、人への接し方にも、子育てへの想いにもつながっている。

受け取った愛情を、次の世代へ。その循環を静かに続けようとする鍋田さんの姿が、とても印象的だった。
おがくず酵素浴 ほかほか。そこには体だけでなく、地域の温もりもそっと包み込むような時間が流れていた。
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